第28回、2008年夏スタディツアー感想文 1 2 3 4 5 6 7
  ♪旅程(2008年夏)
8/23(土) 午前 成田発
午後 バンコク着(名古屋、福岡発の参加者と合流)ホテルへ
タイ古式マッサージ体験(希望者)
8/24(日) 午前 バンコク発
午後 カトマンズ着、ホテルへ
夕刻 旧市街散策とお菓子セット作りとビーズ素材の仕入れ
8/25(月) 午前 マイティ・ネパール本部訪問:女性と子どもの保護施設・職業訓練施設・小学校などを視察
午後 ホスピス訪問(ビーズ指導)
8/26(火) 午前・午後 ホスピス訪問(ビーズ指導)
夕刻 開店準備中のビーズショップ見学とフリータイム
8/27(水) 午前 NDWSデイケアセンター訪問
午後 フィールドワーク:NDWS・CBRプログラム対象家庭訪問
8/28(木) 終日 ホスピス訪問:交流プログラム(ランチパーティー)
8/29(金) 午前 短期日程参加者3名帰国の途へ
午後 ホスピスのみんなと交流プログラム:レストランと映画館へ
8/30(土) 午前 短期日程参加者1名帰国の途へ
午後 フリータイム、フリーマーケット商品の仕入れ
8/31(日) 午前 国内線でカカルビッタへ
午後 トランジット・ホーム見学、子ども服や女性の衣類の買出し
9/1(月) 午前 トランジット・ホーム訪問、国境と検問所見学
午後 サッチガッタ施設訪問:精神疾患を抱える性犯罪被害者のためのケア施設を視察
9/2(火) 午前 トランジット・ホーム訪問、サッチガッタ施設訪問
午後 国内線でカトマンズへ
9/3(水) 終日 フリータイム、観光やフリーまけっと商品の仕入れ
9/4(木) 午前 ホテルチェックアウト
午後 カトマンズ発、バンコク経由帰国の途に
9/5(金) 早朝 成田、名古屋、福岡着、解散

1
「一人の顔」

宇田川さん
(東京都 学生 女性)
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@ 長谷川まり子さんの本を通じて、このツアーを知りました。今まで日中関係にしか関心を持ってなかった自分の新たな挑戦として今回のツアーに参加しようと思いました。参加するための金額を貯めるのに、いろいろな苦難をしました。

 そうしているうち、本当に行く意味があるのか、と戸惑いを感じました。行っても、帰って来た後けっして何かに役立つこともない、ただ一つの知識として身につけるだけに過ぎないと考え始めました。
 
 最後に決断できたのは、問い合わせしたときに代表のまり子さんがとても優しくしてくれたからです。そのやさしさで本を読んだ時の感動が思い出されました。そして行くと強く思いました。

 行くとたくさんの刺激を受けました。ネパールの現状を目にして、ただ唖然とした感じがしました。ホスピスの子供たちと遊ぶことに夢中で、女性たちとあまり交流できませんでした。いろいろと感じたけど、それはツアーの目的だから感じることは当たり前で、むしろ感じないとき、このツアーに参加した意味がなくなります。
A このツアーでいろいろと勉強になりました。例えば、NDWSの現状について話をした時に支援の難しさを知ったり、アヌラダさんに質問をしていると、HIV感染者の立場のなさを感じたり、メンタルケアの女性にマジックをしてあげると喜んでくれると、自分も何かできると感じました。

このようなことを感じることが私の目標だから、目標達成したと思いました。

 しかし思わなかった一人の顔のよって、このツアーに参加する真の意味をした気がします。

 いろいろの期待をもってこのツアーに参加する、しかしそのいろいろは単なる私の願望でこのツアーの意味ではないと感じました。その顔はとはスーラジ君の寂しい顔でした。寂しい顔とは映画を見た日の帰り、みんなと別れた時の顔です。

 車の窓から彼の顔を見て、手を振ろうとしたとき、彼は私たちを見ているではなく、地面を見ていました。とても寂しい感じに見えました。
 
B その夜、私は眠れませんでした。一生懸命寝ようと頑張ったけど、彼の顔をどうしても頭から離れませんでした。決してかっこいいという顔ではないし、いい子という感じもしない。どちらというと悪戯好きなやんちゃな子供という言葉の方が彼に似合うと思います。

 私は大人しい子供とよく遊んだから彼とはあまり一緒に遊ぶことはなかった。後日彼と会うとき、相変わらずやんちゃの子供でした。

 よく彼の行動を見ていると、走った後よく咳をするとか、さりげないけど小さい子供の面倒を見るとか、やんちゃなのに遊びに行こうって誘うとき照れくさい顔をする。

 ツアーで多くのことを勉強したけど、一番の収穫は彼の顔を見られたことなのかもしれません。
C 帰国後、私はラリグラスのイベントにすべて参加すると決めました。そして、スーラジ君の里親にもなりました。彼のこれからの人生を見守りたいと思いました。

イベントで「何で関係ない人のことここまで頑張れるの」「中国人なのに、なんでネパールなのか」とお客さんから聞かれた事があります。

 私はこう答えました。「好きだから、彼らとともに過ごしたときかけがえのない大事な時間で、関係ない人と思えません。」「NGOに参加する事は国籍いらないです。」

 かっこいい言葉を並べたわけではない、スーラジ君の顔で本当にこう思えました。

2
「スタディツアーに参加して」

岡 さん
(神奈川県 社会人 女性)
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@ ネパールの人身売買、少女売春という問題を知ったのは大学に入ってすぐのこと、外部の人を招いて行う講義のなかでジーナの話をしてくれたのがラリグラスのまり子さんでした。

 当時18歳だった私にとって、自分と同じくらい、あるいは年下の子が売春をさせられているという話はとても衝撃的でした。それ以来、いつかはラリグラスのスタツーに参加したいと思い続けて、今回5年越しでの参加となりました。
大学卒業後は国際協力とは関わりのない仕事をしているため、今回の参加に関しては「今現地に行ったところでどうなるの?」「取り組むべき問題は日本にもあるのでは?」という反対もありました。

 それでも、きっかけがまり子さんのお話だったこともあり、ネパールに行きたい、現地で自分の目で確かめたいという思いから短期の日程で参加させてもらいました。

 ホスピスで出会った女の子たちはオシャレや音楽といったことに興味がある私たちと変わらない普通の子の姿だったように思います。

 女の子たちに会う前は、人身売買や売春の被害者で、私の想像を絶する体験をしていると思うとどう接すればいいのか、考えてしまう部分もありましたが、そんな心配はなく、クマーリはきれいなピンクのマニキュアを塗ってくれました。
A しかし、彼女たちが抱えている過去やHIV/AIDSという現実、これからのことを考えると胸が締め付けられる思いでした。

 
子どもたちは本当に無邪気で純粋で、仮装してマジックをするなんて日本では到底考えられませんが、彼らが少しでも楽しんでくれるならという気にさせられました。そして同時に、この笑顔を絶やさないためにはどうすればいいのかと考えさせられました。

 ネパールでの10日間は、まり子さんから様々なお話を聞き、みんなで話し、ホスピスの子たちとランチパーティーをしたり映画にいったりと、とても楽しく有意義な時間を過ごすことができました。

 帰国してすぐ、日本でのそれまでの生活に戻ることを強いられましたが、少しずつ自分なりに考えていくなかで、漠然と半ば勢いで参加した当初にはわからなかったことをいくつか見出すことができました。

 まずは、「お金が大切」ということです。『少女売買』のなかにもありましたが、発言権を得るにはそれなりの支援が必要で、その支援はお金であるということ。このツアーに参加するまでは、募金という協力もあるけれどまずは自分が現場を見たい、なにかをしたいという気持ちのほうが勝っていました。

B しかし、今回参加して、現実を自分の目で知ることも大切だけれども、気持ちだけではなく、お金が必要ということも痛感しました。

 日本で、国際協力とは関係がなくても今の仕事を続けて、安定して金銭的に支援できること、それがすごく重要であるということに気づきました。だって、\36,000で女の子2人で屋台を出して仕事ができるのですから。

  また、「現地での活動1割、日本での活動が9割」ということも帰国後の活動に携わるなかで気づいたことです。
とはいっても、やはりまた彼女たちに会いに行きたい、行かなければと思います。

 日本の生活に戻ったらネパールでのことが薄れていくのかとも思いましたが、彼女たちが作ったアクセサリーをつける度に、イベントの度に、スタツーメンバーとのちょっとしたメールでも彼女たちのことを思い出しています。
C ラリグラスのツアーはリレー方式で、バトンを繋いでいく。それは素敵なことだと思いますが、まり子さんが「1度参加したきりの人も多い」と話してくれたことが引っかかっています。

 今回のツアーのことを忘れないと思うだけでなく、いつかまた自分がバトンを繋げるように、それまではいま自分がやるべきことをしっかりとやっていこう、と思っています。

 最後になりましたが、まり子さんをはじめ、ラリグラスのスタッフのみなさま、石川さん、翔子ちゃん、亜紀ちゃん、純ちゃん、めいちゃん、ミキティ、キム兄、彩子ちゃん、陽子ちゃん、ラジャさん、現地のみなさま、本当にありがとうございました。

3
ツアーを通して

岡本 さん
(福岡県 学生 女性)
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@ 「このツアーに参加して良いのかな」とツアー参加を決めてから私は考えていた。

 それは、まり子さんの『人身売買』の本の内容が自分の想像をはるかに絶していたからだ。興味がある、それだけで私は彼女たちのところへ行っても良いのかとても悩んでいた。

 しかし、まずは現状を知ることから援助は始まるのだと自分に言い聞かせた。今回のツアーでの私のテーマは、「ネパールの現状を知り、少しでも多くの人に伝えていける私になる」に決めた。

 ネパールに着いてまもなく経って、どうやったらもう一度ここに来られるか考えていた。それくらい私はネパールの雰囲気が好きになっていた。町並みも、人も、緩さ加減も許せてしまう。ただ、その緩さが援助する側と受ける側との関係を悪くしているのも事実だ。

 ラリグラスの支援するNDWSとの話し合いに同席させてもらったときにそう感じた。援助できる額は決まっているが現地スタッフは足りないと言う。足りないと言いながら運動会を行ったという。日本人の感覚としてはありえない。

人からもらったお金はその人たちのことを考えて、本当に必要なことに使うだろう。援助を受けるのが当たり前のネパール側は、金は天から降ってくるものではないと日本人が言っても、理解できない。
A 彼らから見れば、金がないと言ってもあると思ってしまう。また、支援をしているラリグラスに何の相談もなく勝手に現地で決めているということもあった。

 きちんと文書を支援側に逐一送るなど、当たり前のことをしていなかった。この会議に立ち会って、国際支援の大変さを目の当たりにした。厳しく言わなければ通じないこともある。一番被害を受けるのはデイケアに通う子どもたちだ。

 信頼は失われてしまうという危機感を持って活動しなければ簡単に支援をストップしてしまうドナーもいるということを理解して、優先順位を考えて活動していけるようなってほしい。

 ホスピスを訪れた。ホスピスのみんなは、初めて会った私に、アンティ、アンティと声をかけてくれた。初対面の見ず知らずの日本人を温かく受け入れてくれた。本当に売春宿で働いていたのかと思うくらいだった。

 私はビーズの検品作業をさせてもらった。どれも買い取ってあげたい。検品中の私をじっと見ている女性たちがいると、出来が悪い物を返すのは心が痛んだが、日本で売る商品である以上、ビジネスとして考えてもらわなければならないということで、欲しい物を選びつつ、真剣に検品した。
B 彼女たちの唯一の現金収入がビーズアクセサリーから得られるのだが、作品の出来や、量にバラつきがあった。

 女性は気分の浮き沈みも激しいし、HIVに感染していることで、いつ死ぬか分からない不安もあるだろう。ホスピスには子ども達もたくさんいた。人懐っこくて、眩しいくらいの笑顔で私にくっついてきてくれた。

 私の手を奪い合い、手をつないで、何度も牛小屋に案内してくれる子どもたち。目が合うたびに笑ってくれる。一生懸命しゃべりかけてくる。何度も私の名前を聞いてくる。私にできることって本当に些細なことしかないけれど、みんなの名前を覚えて、全体力を使って遊んであげた。

 こんなにも自分が必要とされていると、自分で感じられることはめったにない。本当に温かい気持ちになった。彼らからもたくさんのものをもらえた気がする。子ども達は元気だったけれど、全員何らかの薬を飲んでいる。

 咳や、熱が出ている子もいた。思いっきり遊んではいたが、いつ具合が悪くなるか分からない。生まれながらにHIVに感染し、甘えられる親のいない子たち。
C 私に笑いかけてくれるのは、寂しさの表れのように感じた。これから大きくなって、自分の状況が分かるとき、どうなっていくのか不安でたまらない。でも、元気に大きくなっていってほしい。

 このツアーを通して知ったことは、ドナー側の問題もあるということだ。自分の名誉のため、立派な施設を作るが維持費のことは考えない。

 事業を起こしてもそれっきり、ほったらかし。お金の使い道はどうでもいい。自分本位の支援はしない方が良いのかもしれない。こういうドナーがいるから、いつまでも依存してしまうのではないだろうか。

 私が今回ツアーに参加したのは、自分の関心のあることについて調べ、現地に行きフィールドワークを行うという大学のゼミを受講しているからだった。

 人身売買やHIVについて調べたいと思い検索していたところ、運よくラリグラス・ジャパンという団体のツアーを見つけ参加することができた。まり子さんのお話をたくさん聞けて勉強になり、自分の無知さが恥ずかしかった。
D ネパールの位置すら知らなかったし、きっと来なければ関わることもなかったと思う。ネパールでは大規模な洪水が起こったが、日本に影響がなく、話題性もないのでメディアで取り上げられないという。関係ないから報道しないという偏ったメディアの実態も知った。

 ツアー中、私には何もできないと思っていた。旧ホスピスに訪れたとき、トイレの前でぬかるんだコケで滑ってこけてしまった(結構痛かった。)それをティカデビに目撃されてしまい、彼女は大笑いしつつ、タオルで汚れたズボンを拭いてくれた。

 私がどうやって転んだか、一部始終を何度もみんなに話したらしい。恥ずかしかったけれど、精神疾患の彼女が人の世話をするまでに回復したのは嬉しかった。
E 体を張ってよかったと思う。伝えたいことはもっともっとある。知っていかなければならないことも、もっとたくさんある。

 ツアーはそれを気づかせてくれるきっかけとなってくれた。私にできることは限られているのかもしれないけれど、自信を持って伝えていけるように、小さなことでもいいので、とにかく続けていこうと思う。

 最後に、まり子さん、石川さん、翔子ちゃん、あきちゃん、ツアーのメンバーのみなさん、本当にありがとうございました。みなさんと出会えたことに感謝です。

4
「スタディツアー感想文

樫尾 さん
(茨城県 学生 女性)
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@ 「自分にできることは何だろう」
 これが今回のツアーの、私のテーマでした。

 ネパールという国を舞台にして、あまりに個人的なテーマかもしれません。しかし、世界の現状を変えることができるのはやっぱり「人」なのだから、日本に暮らし、現在普通の大学生である私には、現時点で何ができるのかを考えていました。自分目線となってしまいますがご了承ください。(客観的な報告は他のみなさんがやってくださるかと…)

 ネパールという、日本人からすると心理的に遠い国。また人身売買というテーマは重いものであり、私にとって程遠いことのように思えました(日本人に関係のないことでは全くありませんが)。しかし人身売買が行われていることは紛れもない事実であり、私達は被害者の女性たちが暮らす施設に行くのであるから、できることがないはずがありません。

 そこでマイティ訪問前に考えたことは次の4つでした。
@お菓子を必死に詰めること Aビーズ指導 B手品 C現状を知ること・学ぶこと

 以上4点の「自分にできること」をしてみた結果を報告したいと思います。
A @お菓子を必死に詰めること
 マイティやホスピスの子ども達に配るお菓子6種類を袋に詰めていく作業です。ノルマは400セット。山のように積まれている6種類のお菓子を目にして、最初は気の遠くなるような作業のように思えました。

 しかし、いざ始めてみるとメンバーの一体感が生まれ、お菓子はどんどん減っていき、楽しくなっていました。後日そのお菓子を配ったときの子どもたちのはにかんだ笑顔が嬉しかったです。

 ここから学んだことは、「一人ではなかなか達成しないことでも、人が集まれば容易に、かつ楽しく達成できる」ということ。また、現地の人に直接何かをするのではなく、このような裏方の作業をするということも、私にできる国際協力なのだと実感しました。

Aビーズ指導
 これについては一番反省しました。手の不器用さと、日本での練習不足がたたり、ビーズの指導どころか、マイティの女性の作業を見て私も真似る始末…。「教える」ということは中途半端な気持ちでやってはいけないことなのだと身をもって知りました。
B B手品
事前にまり子さんの本を読んで、ホスピスの女性たちが私達の訪れをどれだけ楽しみにしているかを知っていたため、一番気合いが入っていました。女性達は常に辛い過去を抱え、未来に不安を感じているのでしょう。だからせめて、手品に驚く一瞬だけでも、全て忘れて楽しんでほしかった。

 ラッキーなことに、私の割り当ての手品は簡単だけど、見栄えのするものだったため、何としても成功させようと毎晩相方の純ちゃんと共に練習しました。睡眠時間を削ったせいか体調を崩してしまい、1日半寝たきりに近い状態になってしまいましたが、なんとか手品前に回復することができました。

 手品を披露し、子どもたちや女性たちが目を丸くして驚いた表情は今も忘れることができません。外でゲームをしていたとき、近寄ってきて「離れていても水吸えるんでしょ?」とジェスチャーで訴えてくれた子もいました。

 記憶に残っていたと思うと、少しは頑張った甲斐があったかなと思います。言葉は違うけれど、笑顔だけは共通で、みんなと一緒になれた瞬間でした。 
C  C現状を知ること・学ぶこと
 このことの大切さは、日本のとある美容室の対ネパール援助の例から実感しました。ネパールに美容室を開き、現地の人々の働き口にするという行為は、一見素晴らしいことのように思えます。しかし高級をうたう反面スタッフの技術の育成が足りておらず、現地に受け入れられるものでないため、全くお客が入らない状態。

 暇を持て余していたスタッフの女性たちの姿が印象的でした。しかも、店内に置かれているファッション雑誌は全て日本のもの。ネパールの人たちの趣味に合うのだろうか、またこんな服はどこで売っているのだろうか、そんな疑問が頭から離れませんでした。

 日本の価値観を押し付けているだけ、それは国際協力とは言えないものだと思います。

 現状を正しく把握した上での行動でなくてはならない、そして行動後もそれが継続していくためのフォローが必要であることを、援助の厳しい現実から学ぶことができました。最近、テレビ番組等で国際協力と耳にすることも多くなってきましたが、現状に即したものであるか、心配になります。
D このように様々なことを感じ・学び、一週間のツアーを終え成田に帰国しました。

 「入国審査がスムーズだ」「車がきちんと車線内で走っている」「道路が舗装されている」「停電しない」「みんな同じ言葉(日本語)をしゃべっている」

 …その一つ一つに感動してしまいました。日本のほうが確かに便利です。でも、ネパールも大好きです。そんなネパールのためにできることを少しずつ増やしていけたら…。

 ネパールから帰国した私を迎えてくれた友人に、何が一番楽しかったかと聞かれ、HIVに感染している子ども達と触れ合ってきたことを話しました。すると友人は「えっ?大丈夫だったの!?」と心配そうに尋ねてきました。日本で私ができることも、たくさんありそうです。
E 国際協力にとって重要なことは「継続すること」。私は、今回のツアーでは一時的なことしかできませんでした。しかし、本当の意味での国際協力はこれからが勝負だと思っています。

 パーティーで見せてくれたあの笑顔を思い出しつつ、自分にできることを探し、行動に移し続けていきたいです。今は国際協力についてさらに勉強と、時間がある時のラリグラスさんのお手伝いが、私にできることかなと思っています。

 最後になってしまいましたが、まり子さん、石川さん、ラジャさん、しょうこちゃん、あきちゃん、ツアーメンバーのみなさん、本当にありがとうございました。一緒に見、聞き、感じ、体験し、話すことのできた1週間は、私にとって本当に濃いものとなりました。

5
「スタディツアーに参加して」

木村 さん
(岐阜県 社会人 男性)
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@ きっかけは、まり子さんの著書「少女売買」だった。
 ふと手にしたこの本を読んで、実際にネパールの現状を自分の目で見てみたいという思いが、このツアーへの参加を決める動機となった。奇しくも今回スタディツアーに参加して一番に感じたことは、現地で行くことでしか分からない現実や感覚があると言うことであった。

 それを最初に感じたのは、ネパールに着いて、次の日に訪問したマイティ・ネパール本部でのこと。ここでは、ストリートチルドレンや、捨て子、貧困家庭の子供たちを保護育成する全寮制の施設があるとのことで、最初は3,40人程度の子供たちがこの施設で寝泊りしているのだろうな、と思っていた。しかし現実は「300人」だった。

 はじめ、この300と言う数字を聞いたときにも自分はまだピンとこなかった。ところが、この300人の子供たちにツアー参加者全員でプレゼントであるお菓子を一人ひとりに手渡す段階になり、子供たちが長い列を作って待っているのを見て、はじめてその多さに驚かされた。こんなにも多くの子供たちが一つの施設に保護されているのだと。

 自分にとってネパールとは遠い国であり、このツアーに参加を決める前までは、国の北側には世界最高峰のエベレストを擁するヒマラヤ山脈がそびえる風光明媚な国、仏教発祥の地でとても神秘的な国、きっと人々は王様を中心に穏やかにゆったりと生活している国なのだろうな、などと思っていた。
A しかし現実は違った。そこには多くの車や人が行き交い、一所懸命に「生活」をする人々がいた。そして、確かに「貧困」や「格差」が存在した。

 その貧困や格差のほんの氷山の一角が、今、自分が目の前にしているお菓子をもらうために並んでいる300人の子供たちなのだ、と考えた時にこの国の抱える問題の大きさに驚愕してしまった。

 また、「国際支援の難しさ」も、ツアーに参加することで感じることが出来たことの1つだった。当初、「支援」はお金さえ出せば後は何とかなるのでは、と考えていた。

 しかし、実際にNDWS(ネパール障害者女性協会)とラリグラス・ジャパンとのミーティングの様子を見させてもらい、それはとても甘い考えであるということを痛感した。

 ミーティングでは、日本の総務省からの助成を受けて建設されるデイケアセンターの工期が非常に遅れている、ということで行われた。そして、このミーティングで自分は、日本とネパールとでは、文化や習慣はもちろんのこと、政治や経済に至るまでまったく違うのだということを肌でヒシヒシと感じた。

 日本や世界の先進国と呼ばれる国では、仕事を進める際の「報告・連絡・相談」などは当たり前のことだし、契約を結ぶ際には「契約書」で行うのが「当然」である。
B しかし、ネパールではその習慣がない。すなわち、「日本の常識=ネパールの常識」ではない、と言うことである。

 言葉ではなんとなく分かっていたが、実際にネパールの人々と接することで、直にそのことを感じることが出来たし、更には、お互いを理解しあうことが如何に大切かが良く分かるミーティングとなった。

 しかしながら、夕食時に、「彼らは、今はラリグラスに支援してもらっているが、今後、世界と渡り合って大きくなっていくためには「世界のルール」を知らなければならない」し、「今がちょうど乗り越えなければならない壁に突き当たっているところなので、がんばってほしい」と言う、まり子さんの言葉を聴いて、支援することの難しさを知ると共に、決して楽ではない支援を続ける「やりがい」がここにあるのだ、と感じた。
C 今回のツアーでは様々な人に出会った。マイティ・ネパールやNDWSで働く人々、ホスピスやメンタルクリニックで生活する女性や子供たち。これらの人たちとの出会いの全てが、自分に様々なことを考えさせ、そして良い経験をさせてくれたと思っている。

 日本に帰ってできることは多くはないが、出会った人たちのことを思い、何が出来るのか考えながら、少しずつでも支援して行けたらよいと思う。

 最後に、まり子さんをはじめとするラリグラスのスタッフのみなさん、通訳をしてくださったラジャさん、そして、1週間、または2週間と言う短い期間でしたが、一緒に旅をすることができた素晴らしき仲間に感謝しています。ありがとう。

6
「スタディツアーに参加して」

工藤 さん
(東京都 社会人 女性)
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@ 1.里子との出会い 
 数年前に母が始めた「里親サポート」。年2回ラリグラスから送られてくる「里子リポート」を毎回楽しく拝読していた。

 「里子ローシャンはチャウチャウヌードルが好き」と書いてあれば、「どんな食べ物なのかしら?」と家族の話題に上り、また、「体調が優れない」と書いてあれば、「元気になったかな?」と、日常的に家族の会話に出てきていた。

 毎年少しずつ少年らしく変わっていくローシャンの写真を見て成長を喜んでいたので、ツアーに参加するにあたり、彼に会える喜びがあった。

 ツアー中、ホスピスでローシャンに会えた。日本の9歳の子どもよりも小さい。初対面の私が名前を呼ぶと、不思議そうな表情だったけれど、なんとなく受け入れてくれるような感じで、優しい子だなと思った。ローシャンとの出会いに一人静かに感動した…。

 パーティーの日、子どもたちとおりがみで輪飾りを作った。子どもたちはものすごい集中力を発揮して、次から次へと輪を繋げて長い飾りを作っていった。(その熱中ぶりの愛らしかったこと!)輪を繋げる作業は子ども、シールをはがして渡すのは大人と、自然に分担が決まっていた。
A 「アンティ テープ!」(おばさん シール!)と子どもたちから遠慮なく命令?口調で言われると、「おばさん」と呼ばれているにもかかわらず、うれしかった。みんなで一緒に何かをすると仲良くなれるし、とても楽しい。ローシャンも長く出来上がった輪飾りを「こんなに長いよ」と自信たっぷりの笑顔で見せてくれた。生き生きした表情がとてもかわいい子だ。

2.感じたこと・考えたこと
・ボランティアの現状
 ツアーは前半半分しか参加できなかったが、ボランティアについて、また、ラリグラスの活動について学び得たものが多かった。それは、このツアーがボランティアの「良い面だけを見せる」ものではなかったからだと思う。

 困難な状況や問題点も説明してもらい、見せてもらえたことで、多角的に現状を捉えることができた。マイティ・ネパールの会計の不明瞭さなどは、「ボランティアで活躍する人=善い人」と認知していた私にとっては想像できないことだった。

 また、ラリグラスがそうした状況の中で支援の仕方を工夫し、問題解決に向けて努力しながら、支援が必要な人たちのために活動を継続させている団体だということもよくわかった。素晴らしいことだと思う。
B
・「楽しませてあげる」ではなく「楽しませてもらった」
 「ホスピスの子どもたちや女性たちはツアー参加者の訪問をとても楽しみにしている」と聞いて、「何かをしてあげよう」「楽しませてあげよう」と、やる気満々で訪問したけれど、実際のところは、優しい笑顔で温かく迎えてもらい、楽しい時間を過ごさせてもらった。

 また、心の中にたくさんの温かいお土産をもらって日本に帰ってきた。「してあげた」より「してもらった」ことの方が多かったと思う。

3.伝えること 
 小学校の教え子に、ツアーで撮った写真をスクリーンで映しながら紹介した。子どもたちは、「人身売買」が存在することに驚き、「何でそんなことするの?」「ひどい」と反応を示していた。

 また、ホスピスの子どもたちの写真を見せて、「この子はこんなことが得意なのよ。」と紹介してから、エイズに感染していることを知らせた。
C 「エイズ」という言葉は恐怖感をもたらすこともある。でも、「エイズ」という病名が先行する前に、「人」と言う部分に焦点をあてて、その人を見てみると、恐怖感や差別感をもたず相手を理解できるのではと思った。

 子どもの感想は、「早くエイズを直す薬が開発されるといいのに。」「何も悪くないのに病気になってしまったのだね。」「お父さんやお母さんがいなくて寂しい思いをしているのかな?かわいそうだね。」「大きくなったらボランティアをしに行きたい」など。

 人身売買もエイズもネパールという国のことも、知ることから全てが始まるのではと私自身の経験から思う。日本であまり伝えられることのない国の情報を伝えることによって、子どもたちの頭や心に何かが残るといいなと期待・希望している。

 子どもたちが成長していくときに、いろいろな人がいることを考えたり、感じたりしてくれることを願っている。

7
「三度目の訪問」

服部 さん
(神奈川県 社会人 女性)
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@ ラリグラスのスタディツアーに参加するのは今回で3回目になる。初めて参加し、ネパールを訪問したのが4年前の夏だった。

 暑さとカルチャーショックに参ったにもかかわらず、殆どをカカルビッタのホスピス訪問で過ごしたため「もう一度参加して、ツアーの全行程を見たい。」と2回目の参加をしたのが昨年の夏。

 およそ2週間の行程を最初から最後まで一度に通して参加することは難しく、前半1週間、後半1週間の2回に分けて、2年がかりで一通り参加することができたのが昨年の夏。それにもかかわらず、ツアー中に出会った女性や子どもたちのことがどうしても忘れられず、この夏、3回目の参加となった。

 前回と今回の間にたったの1年しか空いていないにもかかわらず、確実に変化が起こっているのを感じた。

 例えば、NDWSのフィールドワークで訪れた脳性麻痺とてんかん、自閉症を併せ持つ重度の少女宅。昨年会った時に比べると赤を基調とした洋服を着て、きれいにお化粧し、髪の毛もアップに結い上げ、女の子らしくなっていた。

 我々が客として訪問したから通常よりも良い格好をしているのにしても、付け刃的に綺麗に装うことはできないので、きっと新しい母親との良好な関係が見違えるように変化したことの要因だろう。
A 重度の障害を負いながら、ここまで好転した母親の献身的な世話に頭の下がる思いだった。まだ母親は19歳だというのに。

 3回しか訪問していないが、ネパールという国に対して軽い失望とあきらめの気持ちを抱いている。単なる旅行者でしかないけれど、また、滞在期間も短いけれど、そして、他の発展途上国と言われる国をそれほど多く、また、深く知っているわけではないけれど、ネパールという国は自国産業を発展させて経済的に豊かになろうとか、自分たちの生活環境を少しでもより良いもので便利なものにしようというガッツが見られにくい。

 自力で努力して改善するよりも、頼れるものには頼る傾向が見受けられる。それでも、小さなことであるが変化はある。例えば、上記した少女宅のように。

 言葉も通じず、時間の流れが日本と全く異なる国だけに、発展や変化は微々たるものだと思い込んでいた節があったようだ。複数回訪れたことで女性や子どもたち個々人の名前と顔を覚えたわけでも、親しい関係になったわけでもないのに、前回とここが違う、ここが同じ、と個々人のストーリーを感じるようになる。

 多分、それが何となく心のどこかに彼女たちの存在が引っ掛かって忘れられずに今年の夏に再訪してしまった理由の一つではないだろうか。
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