第29回、2009年夏スタディツアー感想文 1 2 3 4 5 6 7
  ♪旅程(2009年夏)
7/26(日) 午後 事前研修:
ネパールの概要、人身売買と少女買売春、女性・子ども・障害者の現状と人権についてレクチャー、スタディツアーやホスピスでのビーズ指導の方法、出し物に関する説明
8/16(日) 午前 成田発
午後 バンコク着(名古屋、福岡発の参加者と合流)ホテルへ
タイ古式マッサージ体験(希望者)
8/17(月) 午前 バンコク発
午後 カトマンズ着、ホテルへ
夕刻 旧市街散策とお菓子セット、ビーズ素材、ホスピスへのお土産の仕入れ
8/18(火) 午前 マイティ・ネパール本部訪問:女性と子どもの保護施設・職業訓練施設・小学校などを視察
午後 ホスピス訪問(ビーズ指導)
夕刻 お菓子セット作り
8/19(水) 終日 ホスピス訪問(ビーズ指導)
8/20(木) 終日 ホスピス訪問(ビーズ指導)
8/21(金) 終日 フリータイム、観光やフリーマーケット商品の仕入れ
8/22(土) 終日 ホスピスの女性・子どもと交流プログラム:レストランと映画館へ
午後 短期日程参加者3名到着
8/23(日) 午前 マイティ本部訪問:代表アヌラダさんと面会
午前午後 国内線でカカルビッタへ
到着後トランジットホーム見学
夕刻 子ども服や女性の衣類の買い出し
8/24(月) 午前 トランジット・ホーム訪問、国境見学
午後 サッチガッタ施設訪問:精神疾患を抱える性犯罪被害者のためのケア施設を視察
8/25(火) 午前 トランジット・ホーム訪問、サッチガッタ施設訪問
午後 国内線でカトマンズへ、ホテルチェックイン後フリータイム
8/26(水) 午前 NDWSデイケアセンター訪問
午後 フィールドワーク:NDWS・CBRプログラム対象家庭訪問
8/27(木) 終日 ホスピス訪問:ランチ・パーティー
8/28(金) 午前 ホテルチェックアウト、マイティ本部でお菓子セット配布
午後 カトマンズ発、バンコク経由帰国の途に
8/29(土) 早朝 成田空港解散

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スタディツアーで学んだこと

阿部 さん
(東京都 学生 女性)
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私は途上国における人身売買問題を卒業論文のテーマとしている学生で、文献やインターネット等でこの問題について調べているうちにラリグラス・ジャパンの存在を知り、今回のスタディツアーに応募させていただくことになりました。

 国際協力の分野に興味のある自分ですが、今回のスタディツアーはあくまでも卒論制作の情報収集のためのツールとして利用しようと思い、当初は自身の論文のことばかりに必死でした。
 
 しかし、現地に出向いてみて、私のそういった自己中心的な考えは、出逢った女性たちや子どもたちを苦しめる現状への憤りへと次第に変わっていき、人身売買の問題と国際支援のあり方を再考させられることとなりました。

 今まで文献での知識はそれとなく薄らとあったものの、実際にホスピスの女性たちと過ごし、色々な人たちと出逢う中で、人身売買の問題は本の中だけの話ではないということを今更ながらに知ってゾっとしました。ホスピスの女性たちは私たちに笑顔を絶やしません。
でも、その笑顔の裏には1人ひとりが悲し過ぎる過去を背負っていて、AIDSの恐怖と日々戦っているのだと思うと胸が痛く締め付けられるような、遣る瀬無い思いでいっぱいになりました。楽しそうにキャッキャとはしゃぐ幼い子どもたちだって、何の罪もないのに生まれながらにHIV感染をしていて、中には既に自分が抱えた運命を知っている子どもすらいます。

 ホスピスの女性たちだけではありません。今まさにインドの国境を越えて売春宿へ売られていこうとする水際で救出された女性たちを実際に目の前にしてみて、この人身売買という問題に終わりがあるのか? と考えれば気が遠くなる思いすらしました。

 人身売買のことだけではなく、国際支援やNGO運営の難しさについて知ったことは私にとって非常に大きなインパクトとなりました。援助をすることが目的の組織であれ、人間同士の関わり合いの中で形成されている組織。ましてやそこに大きなお金が絡めば決して綺麗ごとではすまないのだと。

 
まり子さんもマイティへの支援を何度も止めようと思って苦しんだとおっしゃっていましたが、人々の善意から募られた決して少額ではない寄付金の使い道を不明瞭にされ直接的に支援対象者へ向けられないというならば、それは当然の葛藤であり、聞いた話からうかがえることだけでもこのジレンマは非常に苦しいものであったと思います。

 経営状態の芳しくないビューティーパーラーを見れば、被害者女性たちの自立も現実的に考えてなかなか難しいことなのだとも感じました。しかし、助けを待つ人々は確実に存在していて悲観的にばかりなっていられないのも事実で、誰かがこのことに目を向けずに諦めてしまえば解決の可能性は微塵もなくなってしまいます。

 現地NGOを支援する私たちにもきちんとNGOの経営方針を管理する義務があるということを学びました。
また、今まで自分が関わったことのなかった障害児支援の現場を見られたことも自分にとって非常に実り多いものとなりました。

 人身売買も障害児の問題も、このネパールでは無関係ではないように感じます。決して宗教を否定するわけではありませんが、宗教の概念が深く根づいている社会の中では、貧困層の女性たちはどうしたって理不尽な生活を余儀なくされているように見えて、居た堪れなくなりました。

 下からの改善も必要でしょうが、それと同時にこの国全体が変わるためには政治体制の見直しなど、上からの改善が何よりも求められていることなのかもしれません。

 最後に。夏はあっという間に終わり、スタディツアーを共にした仲間たちもそれぞれが元の生活に戻ってしまいましたが、この夏知り合えたみんなと貴重な経験ができたことに感謝の一言。

 まり子さんには本当に多くのことを教えていただいた上に、カトマンズの街中で迷子になった時には駆け回らせるなど、多々迷惑をおかけしたこと、この場でお詫びを伝えておきます。微々たる力ではありますが、今後も自分の協力できる範囲内の活動でも持続的に続け、できることを一つずつ協力していきたいと思っています。

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持ち帰ってきた思い

石橋 さん
(東京都 社会人 女性)
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 ●NDWS
 デイケアセンターの設立・運営、地元スタッフの積極的な雇用、父兄会の発足等、NDWSの地域に根ざした発展は大変学びが多かった。デイケアセンターがパブリックスペースとして機能し、スタッフや子どもたちの親、地域のモチベーションが上がった、という前向きな言葉に胸が熱くなった。

 障害児の支援を考えるとき、子どもたち本人のケアはもちろんだが、家族のケア、そして地域社会とのつながりが非常に重要である。NDWSの活動を通じて地域がまとまることは、子どもたちにとってメリットが大きいと感じた。

 しかし現実、運営費の調達は厳しいという。カトマンズ盆地は首都に近いという理由でユニセフの支援対象外だ。机上の線引きによって支援から振り落とされる人々がいる。

 ゴダワリは確かにカトマンズの中心地から遠くないが起伏の激しい山岳地帯であり、平面の地図上で算出する距離感と実際の移動で体感する距離感には、時間・労力ともに大きな開きがある。支援を決めるならば、その地域や住民を平面的に見るだけでは意味がなく、立体的にアセスメントする能力が必要なのだと痛感した。

 ●サッチガッタ・メンタルケア施設
 精神科受診と服薬によってほとんどの女性がコミュニケーションを取れる状態であった。初期のコンディションの悪さをまり子さんに聞き、目覚ましい回復傾向にあるのが感じられた。

 旧ホスピスはのどかな自然環境の中にあり、街の喧騒に煩わされず療養できる利点もあるが、反面マイティ本部からも周辺地域からも孤立しがちである。女性たちは外出の機会もなく訪問者も限られ、刺激の少ない生活を送らざるを得ない。
 メンタルケアにまだまだ重きの置かれないネパールにおいて、服薬が成功し症状改善が見られたとしても、自立へのサポートは大変に厳しい。まして、女性たちは家族のもとへも帰れない。女性たち個々のためにケアと目標を設定し、ゴールをイメージすることが困難であるし、それを行うメンタルケアの基盤がネパールには乏しい。

 その中で働くナースの重責も大変なものだ。でこぼこ道を車で走り去る私たちの姿が見えなくなるまで見送ってくれた女性たちとスタッフの今後を思うと、胸が苦しかった。

 ●トランジット・ホーム
メチ川を挟んでのインド国境は、少女が売られていく通過点であることが信じられないほど、のどかである。けれども、トランジット・ホームに保護されていた女の子たちを目の当たりにすると、人身売買がまかり通る世界に対して心底憤りを感じる。

 日本でいう中学生にあたる女の子たちが保護されていた。保護されて1カ月ほど経過し、そこでの環境に慣れてきていたのもあるだろうが、私たちの手品に無邪気な笑顔を見せてくれた。

 売られずに済んでよかった、と安心すると同時に、防ぎきれずに売られていく大勢の少女のことを思うと言葉がない。マイティやホスピスの女性たちのことも考えた。彼女たちが売られる前に見せていたであろう無邪気な笑顔や、夢見ていた色々な未来を奪ったのが、人身売買という犯罪だ。それが、深く心に刻み付けられた。

 ●ホスピス
 カトマンズへの施設移転、希望の先駆けプロジェクトの発足による抗HIV薬の内服治療開始によるホスピスの変化は大きいように感じられた。医療へのアクセスが向上したことによる安心感は、女性たちのメンタルに大きく影響していると思う。
 また、このプロジェクトのために結成されたチームが、ネパール国内初の、出産時の母子感染防止に成功したと聞いた。国内での抗HIV薬・血液検査の無料化が進んでいるとも聞き、明るい兆しに胸が熱くなった。

しかし、同時に深刻化しているのは感染者の増大である。国内HIV感染者の増大が深刻化しているからこそのHIV/AIDS治療の発展であるといっていいだろう。今回の訪問でショックを受けたのは、人身売買の被害にあった女性以外に、夫からのHIV感染により行き場をなくした女性やその子ども、そしてAIDS孤児が増えていたことだった。

 一度服薬を開始したら一生飲み続けなければならない抗HIV薬の多剤併用療法は、国を挙げての検査・薬の無料化や、マイティのような組織のサポートがなければ、ネパールのHIV感染者にとって持続するのは困難を極めるだろう。まず、金がかかるからだ。

 夫から感染した女性は、夫の職業がトラックドライバーであることが多いという。夫が出先で買春し感染、それを家庭へ持ち帰ってしまう。人身売買の問題と切っても切れない関連性がある。

 問題の大きさを再認識した。ホスピスの女性たち、子どもたちに対し、ほんの数日しか時間をともにしない私が、どれだけ記憶に残るのか、ましてや何を残して帰れるのか、前回と同様に無力感を抱かずにはいられなかった。

 みんな、今後も自らの過去やHIV感染と向き合い続けなければならない。治療効果が得られれば死は遠ざかるが、その分だけ自分の人生を考えて、その中に生きがいを見つけたいと思うのではないか。
 ホスピスを出て自立したいと思うのも当然の欲求かもしれない。衣食住が保障されて治療も受けられる環境にあっても、閉塞感に落ち込むことはあると思う。自分に何ができるのか、考えてもやっぱり容易に答えは出せず、「また会おうね」と約束することもできない自分が情けなかった。

 それでも、ビーズが格段に上達していたことや、勉強を始めていたこと、手品と変装に爆笑してくれたこと、前回出会った女性の元気な姿、幼児だったアーシャ、マドゥー、クリシュナの成長した姿を見れたこと、色々。色々がうれしくて、「忘れてはいけない」のではなく、忘れたくない、と思った。

 彼女たちの毎日に寄り添う覚悟もない私が、一日でも長く生きて欲しい、と願うのは傲慢かもしれない。願うだけでは何もならない。答えを出すのは困難だが、それも忘れてはならない気がした。
 ●最後に
 20歳の私にまり子さんがくれた言葉は「自分の感受性は自分で守る」だった。心にずっと住み着いたこの言葉があって、私は再びネパールに行ったのだと思う。そして27歳になった私に響いたまり子さんの言葉は「ボランティアはイマジネーションだ」である。

 ネパールは遠いが、思い出すことはできるわけで。午後4時には、今頃ホスピスはおやつタイムでみんなバナナを食ってるだろう、などと。イベントの時にはゆで卵の殻をむきながら、みんなのことを思い出そう。

 日本で私にできることを、できるだけやっていきたいと素直に思う。最後に、まり子さん、あゆみちゃん、ツアーメンバーの皆さん、ラジャさんへ。皆さんのおかげで有意義な時間を過ごさせていただきました。ありがとうございました。

3
2年連続で参加して

宇田川 さん
(東京都 学生 女性)
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 今回のツアーは2回目の参加になります。去年で今年なので、子どもや女性は昨日の今日のように、変わってはいないのではないか。時間を置き、また行けばいいではないか、という戸惑いもありました。結局参加を決めたのは、女性たちの夢を日々見るようになったのがきっかけでした。

 中国には「日有所思、夜有所夢」ということわざがあります。意味は昼間あることをずっと考えたら、夜そのことが夢に出るといわれています。こんなに気になるなら、やはり行くべきだ。もしかして、みんなも私のことを待っているかもしれないという己惚れの気持ちで現地に行きました。

 ●ホスピス
 あまり状況が変わらないと思ったものの、彼らの変わりぶりが私をびっくりさせました。子どもたちは学校に行くようになって、規則的な生活を過ごしていました。去年より身だしなみがしっかりしていて、顔色も明るくなりました。毎日宿題をやる習慣をつけ、退屈な生活に花を飾った感じがしました。これから知識を身につけて、いろいろなことに興味を持つことを願っています。

 子どもだけじゃなく女性たちも勉強し始め、ビーズ検品の時も、一緒に「one, two……」と言ったとき、感動しました。loose、longなど言うとわかってもらえて、コミュニケーションが取りやすかったです。女性たちの作品はとてもいいものばかりだったので、勉強し始めて、自分に自信を持っていると思えました。たくさん持っているのにもかかわらずまた買ってしまいました。(苦笑)
●NDWS
 今年はもっとNDWSのことを詳しく知りたいと思いましたので、特に注意してみました。障害児というだけで厄介払いされ、必要とする栄養や知識を与えられないで終わるのは悲しいと思いました。きちんと、ゆっくり、気長く、彼らに力を注げば彼らはきっとできるはずだと思います。

 私の職場に障害児がいます。彼はゆっくり、はっきりと言えば、仕事をやってくれます。しかし何も言わず、早く言うと、まったくやってくれません。ネパールはまだ障害児が仕事ができるところは少ないと思いますが、せめて生活に必要な知識を気長に教えてほしいです。

 私情になりますが、今後の素晴らしい活動(どうしたらもっとドナーが来るか、NDWSの建物利用など)も期待していますが、まず今の子どもたちに力を入れてほしいです。子どもは本当にかわいいからです。

 私のことを知ろうとして、「What‘s your name?」と聞いてくれて、私の洋服の袖を邪魔だと思い、回ってくれて、私のカメラの中の自分をみて、思わずカメラにチュして、私と同じやり方で遊んでくれました。すごくかわいらしく、感動しました。今、思い出すだけで、笑ってしまいます。私は現地にずっといられないので、現地のスタッフに期待します。
●心残りだった女性との再会
 メンタル施設で私が気にしている女性がいました。彼女はミンマヤです。去年、時計をプレゼントした子です。

 当時は来たばかりで、無言、無表情、無感情、自分の世界に自分を閉じ込め、誰とも関わりを持ちたくないといった感じでした。もちろん時計をあげたとき、どんな言葉をかけようが、どんなに動いていようが、私と一度も目を合わしたことがありませんでした。きっと彼女は辛い目にあって来たのよって思うようになりました。

 だから今年は彼女に会えることが密かに楽しみでした。彼女に会ったとき、すぐにわからなかったです。顔がふっくらとして、ときたま私を見てくれて、ほほ笑みます。お菓子を渡したら、すぐジュースを飲み、「ミトチャ?」って聞くと、頭を上手に揺らしました(ネパールでは【はい】という意味)。あの彼女が笑ってくれたことが、まるで奇跡に思えました。
④ しかし、私は彼女にかける言葉が見つからず、ただ彼女の手をにぎりました。こんな彼女に会えたのは、周りの影響、ナースの努力、医者のいい医療からだと思います。今後女性たちが希望する外出ができることを願います。

 帰国後よくカメラを見て、ニヤけることがあります。周りからきっと変な人と思われたでしょう。でもいいです。私は女性、子ども、障害児、メンタルの女性を見守る変態、おっかけ、ストーカーですから。

 最後になりますが、2年連続参加して本当によかったです。いろいろな人の成長を自分の目で確かめることができました。驚き、うれしいこと、優しくされたこと、笑ってくれたことをまた感じられたのがよかったです。

4
スタディツアーに参加して

岡 さん
(神奈川県 社会人 女性)
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 「ツアーに参加して涙を流して、でもそれでおしまい。毎年来ることはできなくても次の参加者に手紙を託すという方法もあるのでは?」
 これは去年のツアーの際に、まり子さんが話していたことの1つです。

 ツアーを終えて1年経ち、また今年もツアーの募集の掲載を見つけたとき、この話を思い出しました。そして、去年ホスピスで会った女の子や子どもたちを思い返したとき、また会いたい、今年も行こう!と、2度目の参加を決めました。

 といっても、今回も短期日程での参加となり、2年かけて1つのツアーを完結することになりました。今回は後半からの参加だったので、カトマンズに到着するなり、映画館へ直行、みんなと合流となりました。子どもたちはテンションが高く、去年と変わらない姿がとてもうれしく感じました。

 しかし、この「去年と変わらない」ということは後になんだか寂しいことに感じたのも事実です。

 去年のツアーの後、2人の子どもの里親になりました。日本にいる間、彼らの笑顔が変わらずに続いてほしいと願っていました。そして1年越しにあった変わらない笑顔は本当にうれしく、ほっとしました。

 でも同時に、これからもずっとここで変わらず過ごしていくしかないということを思い知らされたような気がしました。「ホスピスの暮らしは、衣食住は保障されるけれど、単調な暮らしだ」まり子さんが言っていたことが胸に突き刺さりました。

今回とても印象に残っていることは、「支援する側も対象を選ぶ」という話でした。だから、障害児の支援は人気がないと。
② 私自身、スタツアに参加したときはNDWSの話はまったく知らず、去年はホスピスの子どもたちのことで頭がいっぱいでした。しかし、今回は少し違いました。知れば知るほど、NDWSの子どもたちがかわいくなりました。

 支援をする人たちは「何かをしたい」と思っているはずです。でもそこに選択肢を加えてしまったら……。確かに30人の人に1度に会ったら、印象に残る人もいれば残らない人もいる、それは事実です。しかし、そういうところにこそ目を向けなければ。

 ネパールという国が日本から心理的に遠いから活動しているNGOが少ない、そんな国の人気のない問題だから、ますます目が向けられにくい。支援する側のエゴを感じずにはいられませんでした。みんなが幸せで、笑顔でいるためにはどうしたらいいのだろうか。そんなことをずっと考えていました。

 またカカルビッタでは、国境の手前で助けられた女の子たちにも会いました。売られる女の子は年間7,000人、1日平均20人弱。言葉では多いと感じていましたが、実際にその子たちを目の当たりにするとなんとも言葉が出てきませんでした。

 今回のツアーは、去年のベースがあるせいか、いろいろなことをぐるぐると考えてしまい、まだうまく言葉にできません。でも1つ言えることは、私は前回も今回も彼女たちから元気や勇気をもらいました。

 ちっちゃなことでくよくよしていないで、前を向いて、自分がやるべきことをやっていこう!彼女たちに恥ずかしくないように輝いていたい、そう思います。そしてまた、彼女たちの笑顔を見たくてツアーに参加するんだろうなと思います。

5
「ネパール」

徳山 さん
(東京都 社会人 男性)
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きっかけは長谷川まり子さんの本『少女売買』でした。

 この本を読んでいる時に、いくつかの思いが湧き出ました。「助けたい」という思い、「殺意」にも似た怒り、亡くなられた方の最後の視線を想像した悲しみ、どうすれば良いのかわからない表現のしようがない感情。そんな思いが湧き出る中、実際に行ってこの目で見てみたい、ありのままに感じてみたいと思いました。

 しかし、その一方で、この思いも一時の感情ですぐ飽きてしまうんだろうか、という不安にも似た思いもありました。でもネパールへ行って自分の行動に飽きてしまったのならツアーを待たずして日本へ帰ればいい、とにかく一度行ってみようと思いました。

 ネパール行きを決めてから「なんでネパールなの?日本にだって困っている人はいるよ」とよく言われました。でも決まってこう答えました。「うん、確かに日本にも困っている人はいるね。でも自分が助けたいって思ったのはネパールの方たちだから、その思いは大切にしたいし、何より、自分がネパールへ行きたいって思っているから、ネパールへ行くよ。だから日本のことはお前に任せたよ」と言っていました。

 そして、ネパール行き当日、「ありのままを感じてくる」をテーマに日本を発ちました。

 自分はツアーより1カ月程早く現地入りして、生活していました。そしてネパールの貧困、格差、人、ヒマラヤ、男性、女性、大人、子ども、マリファナ、シンナー、気候、食べ物、警察、ワイロ、交通、空気、物価、教育などネパールの文化、現状をわずかながらに感じることができました。

 しかしネパールのすべての表と裏を1カ月足らずで感じ、理解することは当然叶わず、もっとネパールでの時間を増やさなければと思いました。慣れない町で最初は四苦八苦しましたが、大分要領もわかってきたので、来年のネパールでの生活が楽しみです。
 そして今回の旅でもっとも実りある時間をくださいました、スタディツアー。

 保護された被害者に会えたことは、とても貴重な体験でした。実際に会えたことで、人身売買をより身近に感じることができたからです。それと同時にとてもつらいことでもありました。なぜなら想像力がより豊かになるからです。

 自分は時々想像することがあります。自分が7歳の時に売られてしまって、売られた先でされることを。それは想像でさえ耐えられることではありません。想像力が豊かになった分だけ、つらくなります。それでも時々想像してしまうのは、少しでも彼女たちの気持ちを理解したいからだと思います。自分以外の人間を理解することは難しいけれど、理解しようとする心は思いやりになり、その思いやりが相手を理解する力になり、相手を理解することは救うことにもつながるんじゃないかと思う。

 理解できずともその心は相手に伝わり、それもまた救うことにもつながるんじゃないかなと思いました。自分が誰かを救うなんて、とても大それたことだとは思う。でも何もできなくても、誰も救えなくても、その優しさだけはなくさないようにしようと思いました。
 
このツアーでは障害者の方と触れ合うこともできました。人身売買問題に興味を惹かれた自分としては、障害者の方への思いはそれほどありませんでした。それでも障害者に接する時は、何も考えずに無邪気に接していました。そしてある精神疾患を持つ患者と触れ合うこともできました。
 
 そして日本に帰ってきた今、その子と触れ合ったひと時を思い出し、こう思うのです。「もしあの子がいつか自分の名前を呼んでくれたら」……ちょっと想像してみた……徳山の心はとろけた(笑)。また会いたいと思った。 
 先ほども書いたとおり、自分は障害者支援にそれほど関心を持っていませんでした。今でこそ、この子たちのことを思うことで少しずつ思いが強くなっていってますが、人身売買に対する思いに比べればまだまだ弱いと思います。それでも毎年会いに行くことで、障害者支援に対する思いも強くしていければと思いました。

 最後に、徳山には苦手なものがあります。それは「ボランティア」「正義」というものです。「ボランティアって胡散臭い」、こういう偏見の目が子どもの頃からありました。「胡散臭い」という考えは、「ボランティア=無償」という自分の勝手な固定観念があったからだと思います。

 でも今回のツアーでボランティアのなんたるかを長谷川さんが教えてくれました。それは、今まで考えていたボランティアのイメージを一新するものでした。これは自分の無知、未熟さを恥じるとともに、再確認するものでした。それでも好きになることに抵抗があるのは、ボランティアと正義をダブらせてしまうからです。正義が苦手な理由は、う~ん何て言うんでしょう、正義を振りかざした時の人間の性(さが)とでも言うんでしょうか。

 「正義 対 悪」この図式ってみんなの生活の中にもたまにあると思うのですが、たまに見かけるんです、優しさや思いやりの微塵も感じない正義を。そういう時の正義って残酷で、相手の尊厳を無視するんです。それが何となく殺人とダブってしまって、正しいことを言ってても苦手です。
 だから好きになることはないのかなと思います。ボランティアを語ることもないと思います。……でも、ラリグラス・ジャパンは好き?

そもそも勝手わがままに始めた今回の旅も、ボランティアとか誰かのためというより、自分のやりたいことをやっていただけのような気がします。その先でたまたま誰かが笑ってくれた。それだけのことだと思います。そんでもって、その笑顔をまた見たいなと思う訳でございます(*^。^*)

 自分の自由すぎる性格がボランティアを語れない理由でもありますが(笑)、でもこの自由気ままさが支援継続の糧になっているとも思います。この思いが続く限り、支援を続けていこうと思います。何よりまた、みんなに会いたいですから。O(≧∇≦)O

 ネパール、インドで出会い色々と助けてくださった方々、また共に行動をし、引率してくださった皆さま、ありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いいたします。

6
「スタディツアーに参加して」

西田 さん
(東京都 社会人 女性)
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 私は小さい頃から、国際協力という言葉に漠然とした関心をもっていました。しかし25歳になる今まで、これといった行動も起こせておらず、毎日の仕事に追われています。そんな中、せめて年に一回でも、世界で起こっている問題に目を向ける機会を作ろう、と自分なりに決め、参加したのがこのラリグラスのスタディツアーでした。

私は事前研修会に参加ができませんでしたが、送っていただいたリポートなどを家で読みながら、非常に混乱した気持ちになっていました。こんなにひどいことが世の中にあっていいのか?嘘なんじゃないか?

 数日後、実際にホスピスを訪問した際、あのリポートの話がすべて本当だったことを受けとめることになりました。人身売買の被害に遭った女性、HIVに母子感染してしまった子どもたちは実際そこにいたのです。

 彼女ら、彼らと交流していると、時折またその悲しい現実が信じられなくなる時がありました。「そうだ、この子たちは……」と、現実を再確認しなくてはならない感じでした。
私は今回プシュパとよく話す機会がありました。彼女は、今は笑ってばかりいるけれど(もちろん心の中は辛いこともたくさんあるでしょう)、当時はどんなことを考えていたのだろう、どんな女性でどんな夢があったのだろう、と考えると本当に苦しくなります。

 サッチガッタやデイケアセンターで障害児の問題についても考えました。サッチガッタのみんなは今の生活をとても楽しそうに送っているように思えました。ただ、まり子さんもおっしゃっていましたが、14歳のソニー・ブルの笑顔には、何か昔のあまりよくない思い出が映し出されているようにも見えました。

 そのほかのみんなも、それぞれに違った辛い経験を持っているだろうし、まだ心から笑えていない人もいると思います。傷を癒すのは、本当に長い年月がかかると思います。その前に、心に傷を負う人の数が少しでも減れば、と思います。日本人の私は、『輪廻転生』というと、救いをもたらすための考えだと思っていましたが、それがこのような差別につながることもあるなんて、本来の意味と違うような気がしてしまいました。
 また、同様に心に残っているのが、トランジット・ホームで見た、保護されたばかりの7人の女性たちです。日本と文化は違って、恋愛結婚ではないかもしれません。それでも、夫が自分を売ったとわかって大きなショックを受ける気持ちは、誰でも同じだと思います。ことを理解したとき、泣き出してしまった2人のことが忘れられません。数日間の中で人を信じることと疑うことが交錯し、今おそらく彼女らは人間不信に陥っているだろうと思います。少しでも早く、彼女らにまた笑顔が戻ればいいなと思います。

 今回のツアーでは、新たな発見がありました。それはNGOの、途上国に対する姿勢についてです。途上国がかわいそうだからといって、ただ優しく、何でも認めることがよいわけではない。時には厳しく、メスを入れていくことが必要なんだと感じました。トランジット・ホームのおじさんが、ちょっとまり子さんを怖がっているというのは、私は初めて見るパターンだったけれども、すごくいい関係だなと思いました。
 それは、その国のことや文化をかなり詳しく理解していなければできないことです。それをしていっているのがラリグラスなのだと思いました。

 ドナーに対してもその姿勢は同じで、援助される側にとって本当にためになるかどうかをしっかり考える。それは本当に大切なことだと思いました。

 今回のツアーでは、普段なら考えもしなかったことに触れることができ、本当に有意義でした。この経験を決して無駄にすることがないよう、これからの人生に生かしていきたいと思いました。ご一緒した皆さん、本当にどうもありがとうございました。

【欄外】
トランジット・ホームとメンタルケア施設の総責任者

7
スタディツアーに参加して

野口 さん
(東京都 社会人 女性)
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 「いつかラリグラスのスタディツアーに参加する!」と、ずっと思っていたので、今回、参加することができて、とてもうれしいです。今年の春に娘が独立したので絶好の機会と言えたのですが、母の介護上の問題が起きたり、アレコレ事件続発。でも、最後には腹をくくってネパ~ルへ。本当に行ってよかったと、後になっても痛感しています!

 後半のみの参加だったので、カトマンズに到着してそのまま映画館に直行。暗い館内から興奮さめやらぬ顔で出てきたホスピスの面々、本当にどこにでもいそうな普通の女性と子どもたちでした。女性たちの間からスル~ッと何本か手が伸びてきて、私の腕をさすってくれました。今回初参加の私をそれと認めて、歓迎の意を表してくれたのです。


 女性たちの中にはひときわ明るく、優しく、気のいいおばさんみたいな人もいました。私たちのバスに一緒に乗りこんで、「なんだ、こりゃ、オヤジ~」などと訳のわからない日本語を習い(?)、みなで笑い転げたこともありました。しかしその右手は動かないのです。宿にいたころ折檻された後遺症と聞いて、胸が痛みました。

 ホスピスでは、AIDSで亡くなった夫の写真を見せて、「ラムロチャ(素敵な人だった)」と繰り返していた女性も忘れられません。その夫に母子でAIDSをうつされ、親族に遺棄されたということですが、それを恨んではいないのでしょうか。

 かいがいしく料理をする女性たち、私たちのヘタクソな(もちろん、もちろんいます!)手品に笑ってくれる女性たち、プレゼントに喜んでくれる女性たち、彼女たちは一見明るく屈託がないように見えても、心の底にどんな想いを抱えているのだろうかと考えないではいられませんでした。
また子どもたちも制服を着ていればお行儀のいい小学生に見えるし、中庭で滑り台やブランコで遊ぶ姿を見れば健康そうな子どもたちに見えました。私たちの仮装に手を打って喜んでくれる様子は天真爛漫で、なんの陰りもないようでした。

 その子どもたちがHIVのキャリアだとは、信じたくない事実でした。子どもたちが無事に成人し、人生を全うしてくれるように祈るばかりです。どうか近いうちHIVが消えてしまうような薬が開発されますように。

 カカルビッタでトランジット・ホームへ行ったのも貴重な体験でした。最初は可愛らしい少女たち3人が保護されているのを見て、「売られなくてよかった」とみなで胸をなでおろしました。が、帰る日にはあらたに3組7人が保護されていました。そのうちの1人、20歳の人妻は夫と仲介人に連れられて来たとか。夫はグルなのでしょうか、それとも夫もだまされているのでしょうか。村には子どもも2人いるそうです。不安のために泣きだしてしまった彼女を、どんなふうに慰められたでしょう。

 そのほか、カカルビッタ近郊のサッチガッタで精神障害の女性たちとダンスをして遊んだり、カトマンズ近郊で障害児施設を訪れたり、水田の中にたつ障害児の家を家庭訪問したり、そのどれもこれも得がたい体験でした。

 また長谷川さんが語ってくれた「援助」の難しさも考えさせられた。NGOのトップたちの腐敗、名誉ばかりを求めるドナー、現地のことを考えない身勝手な支援等々、お金をポンッと渡して満足していては決していい援助はできないのだと痛感しました。

 ともかく今は、ネパールで得てきた体験を元に、自分にできることはなにか、自問自答しています。本当に貴重な、大きな体験でした。長谷川さん、みなさん、ダンネバード!
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