第31回、2011年夏スタディツアー感想文 1 2 3 4 5
  ♪旅程(2011年夏)
7/24(日) 午後 事前研修:
ネパールの概要、人身売買と少女買売春、女性・子ども・障害者の現状と人権についてレクチャー、スタディツアーやホスピスでのビーズ指導の方法、出し物に関する説明
8/19(金) 午前 成田発
香港着
夕刻 香港発
カトマンズ着
8/20(土) 午前 ホスピス訪問
午後 マイティ本部にてお菓子セットづくり
8/21(日) 午前 マイティ・ネパール本部訪問、女性と子どもの保護施設・職業訓練施設・テレサアカデミーなどを視察
夕刻 ホスピス訪問(ビーズ指導)
8/22(月) 午前 国内線でカカルビッタへ
午後 トランジットホーム・メンタルケア施設訪問
夕刻 子ども服や女性の衣類の買い出し
8/23(火) 終日 ピクニック
8/24(水) 国境見学
午前 トランジット・ホーム、メンタルケア施設訪問
午後 国内線にてカトマンズへ、帰着後、フリーマーケット商品の仕入れ
8/25(木) 終日 ホスピスのみんなと交流プログラム:ランチ・パーティー
8/26(金) 午前 デイケアセンター訪問
午後 フィールドワーク:NDWS・CBRプログラム対象家庭訪問
8/27(土) 終日 ホスピスのみんなと交流プログラム:映画鑑賞とレストランランチ
8/28(日) 終日 フリータイム、フリーマーケット商品の仕入れ
8/29(月) 終日 ホスピス訪問:フェルト製品製作指導と交流
8/30(火) 終日 ホスピス訪問:フェルト製品製作指導と交流
8/31(水) 午前 ホスピス、マイティ・ネパール訪問後出発までフリータイム
午後 カトマンズ発、香港経由で帰国の途へ
9/01(木) 早朝 香港空港発成田空港へ
午後 成田空港解散

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1.「ツアー感想文」
青山 さん
(大阪府 社会人 女性)
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 出会いは一冊の本でした。
 10年程前、長谷川まり子さんの本でネパールの人身売買とラリグラスのことを知り、どこにぶつけてよいのかわからない怒り、憤り、どうしようもない悲しみにも出会いました。

 そして、いつか必ずツアーに参加する!という思いを持ち続けて、やっと今年念願が叶い、参加することができました。

 この10年という月日に自分の行動力、実行力のなさを少し後悔することもあります。でもこの10年間ツアーに行く、という気持ちは消えたことはなく、年々強くなっていきました。
 なぜそんなに行きたかったのかというと、実際に会ってかかわりたかったから。私は別にボランティアが好きなわけでも、誰かを助けたいと強く思っているわけでもありません。ちなみに、もともと子どもも大して好きではありませんでした。

 ただ、一方的にこちらだけが被害者たちのことを知っているということが失礼かなという気持ちと自分の存在を知ってほしかったのです。

 私の場合はインド人と結婚していたということもあり、“世間の目”というものを少し見る機会がありました。周りには「ムンバイの売春宿で少女を買ったよ。若い子でよかったよ」というインド人男性も何人かいました。

 そこでHIVに感染し、AIDSを発症していると言われていた男性もいました。そしてこの男性に対しての多くの人の反応は「あんな所に行くからだ」というものでした。

 ネパールに行った時に元夫は、「あの女性は元娼婦で今は斡旋人をしている。他にできる仕事がないからしょうがない。」と平然と当然のことのように言っていました。

 また、上品な夫婦とムンバイに行った時、売春宿の向かいのホテルしかとれなかったため、そこに泊まると告げると、奥さんは「なぜこんな場所に泊まらないといけないの?!汚らわしい!早く違うホテルに移りたい!」と怒ったことがありました。

 私の周りにこういった人たちが集まったのかもしれませんし、今はまた違っているのかもしれません。が、好きで行ったわけではなく、一生を狂わされてしまった少女たちや、元少女たちに対しての世間の無関心さ、冷たさに、自分の娘や姉妹、恋人が同じ目にもし遭ったとしたら、という想像はできないのだろうか、と疑問に思い、違和感と憤りをすごく感じました。また、中途半端な知識や偏見は恐ろしいと思いました。

 そして、自分自身も本やネットで見ただけ、人から話を聞いただけで知っているつもり、わかったふりはしたくない、と思いました。

 実際に行ってみてたくさんの人たちと出会い、いろいろな体験をさせていただきました。ホスピスの子どもたちはHIVのことを忘れるくらい、明るく元気でものすごくかわいかったです。子どもたちも女性たちもいつも笑顔(または変顔)で接してくれ、言葉はわからなくても、伝わるものがありました。

 だんだん子どもたちとも慣れてきて、あれやって、これやって、と色んな要求をしてきましたが、それがまた、子どもらしくてうれしかったです。

 一度、まり子さんたちとホスピスの女性たちのアルバイト先へ様子を見に行った時、私は彼女たちとは会うのが初めてでしたが、とても嬉しそうに接してくれました。

 ツアー後、私は3日程1人でネパールに残ったので、彼女たちに1人で会いにいきました。実は人見知りで小心者の私は、私のこと覚えてるかなとか、言葉もわからないしな、と不安で一杯でしたが、一目見るなり皆で「アンティ、アンティ」と笑顔で迎えてくれ、汗だくだった私をクーラーのよく当たるところに連れて行ってくれたり、汗をふいてくれたり、次の日は道路の向かいにいた私を見つけて、全員建物の外へ出てきて手を振って迎えてくれました。

 「バイト中なのに仕事の邪魔してゴメン」と思いつつ、その皆の温かさに感激してしまいました。こんなふうに女性たちとボランティアのツアーの一環としてホスピスで会うだけではなく、友達として職場や職場の近くで会える女性がもっと増えていってほしいし、増やしたいと思いました。

 メンタルケア施設、NDWSでは日本では見かけたことはあっても実際に接したことのなかった障がいを持った子どもたちや女性たちに会いました。あんなにダンスし合えるとは思ってなかったので、すごく楽しかったです。

 あの魅惑の眼差しや素晴らしい腰の振りを思い出すといつでも顔がにやけてしまいます。お互い汗臭いのにすり寄ってきてくれ、かわいくてたまりませんでした。 マイティ・ネパール本部や職業訓練施設等、どこに行ってもすべての施設で多くの笑顔に迎えられました。

 ピクニックや映画に行ったり、手品をしたりして喜んでもらえ、笑顔も増やせたかもしれません。でもその中で急に笑顔が消えたり、ずっと笑顔を見せることのない子どもや女性を見ると、事の深刻さを思い知らされ、やるせなさを感じました。もうこんな人たちを増やしたくないし、本当の笑顔を少しでも多く見たいと思います。自分一人ではできることは限られていますが、何かはできると思うので自己満足にならないように継続してやっていきたいです。

 また、まり子さんには貴重な話や嬉しい言葉をたくさんいただいたり、やさしさ、強さを見せていただき、とても感謝しています。ツアーでご一緒したラジャさん、ねもちゃん、えみちゃん、徳子さん、みつ子さんと過ごせて楽しかったです。ありがとうございました。

<おまけ>ネパールに来て、辛い物を食べずに済んだのはこのツアーが初めてで、感激しました。また、出会った男性達たちがほとんど声を張らない人ばかりで驚きました。

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2.スタディツアーに参加して
大野国 さん
(東京都 社会人 男性)
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① 8月21日
 ホスピス訪問1回目。まずは皆さんにご挨拶。3年連続ツアー参加の徳山くんはすっかり顔なじみで、子どもたちから「ディディ(お姉さん)」と呼びかけられている。「徳山お兄さん」ではなく、過去の訪問時に女装をしたときの「徳子ネェチャン」のイメージが圧倒的に強く残っているらしい。

 ホスピスではまず、ビーズ製品の検品から。昨年オーダーした製品の特徴とチェックポイントの説明を受けた後、「日本で売れる製品か」という厳しい目で検品開始。今回の検品でもったいなかったのは、チョーカーで不合格となる物が多く出たこと。

 原因としては、①ビーズサイズが試作時の物より大きかったため、試作品と同じ個数のビーズを連ねると長くなりすぎてしまう、②ビーズの加工精度が悪くねじれたような感じになってしまう物が多い(これは今回のチョーカーに限らず構造的問題)、とが挙げられる。

 現地で手に入る安価なインド製ビーズを使う以上、これからも起こり得る問題ではあるが、少しずつ改善していくことだろう。少なくとも以前と比べるとビーズの加工精度は上がっており、同じ袋に入ったビーズの大きさが倍近く違うようなこともなくなってきている。

 また、ビーズサイズによる長さの問題は「個数」にこだわらず「長さ」目安で作るようにしたら何とかなるかもしれない。ただしこの場合も試作および仕上がり確認をして、見た目や装着感が製品として十分か確認しておく必要があるだろう。

 検品の次は新製品の製作指導。今回はフェルト素材を中心とした製品であり、フェルトのカットや縫製等、これまでのビーズ製品の作り方とは若干勝手が違う。実はツアーメンバーも説明会の際に最終完成形を作っておらず、「指導」できるほどには自分たちも理解できていなかった。

そのため「一緒に学びながら作る」感じとなり、思った以上に時間を取られることになってしまった。何とか「象デザイン」は完成させることができたものの、キノコデザインについては「象と同じように作る」と言う説明までで完成には至らなかった。彼女たちの力で、うまく作ってくれることを願うばかりである。

 その後、マイティ本部へ移動。この日は土曜日であるためネパールでは休日。テレサ・アカデミーもお休みなので見学等はせず、女の子たち(14人だったかな)に手伝ってもらいながらお菓子の袋詰め作業を行った。まり子さんが「何分でできるか計るよ」と檄を飛ばして流れ作業スタート!700袋を超える詰め合わせを作るのにわずか15分程度しかかからなかった!

 手伝ってくれた女の子のうち、3人が昨年11月に、まんのう町に招聘され来日した経験を持っていた。その中の一人が、私がネパール語で話をすることにやたらとウケてしまい、私が何かを話すと、周りの女の子たちに「この人~なんて言ってるぅ!」という感じで説明しているのが面白かった。

8月21日
 あらためてマイティ・ネパール本部を訪問。アヌラダさんは韓国の『Manhae Prize』を受賞されたため授賞式に行っており不在。そのため堅苦しい挨拶は抜きにして、この日のメインイベントは子どもたちお待ちかねのお菓子のプレゼント!あっという間に行列ができて、ツアーメンバーみんなで1人ひとりに手渡していく。

 ここで驚いたのは、子どもたちが皆お行儀よく行列を作り順番を守っていること。ある意味「ネパールらしくない」秩序が感じられる。これはやはりマイティの指導がかなり徹底していることによるものと考えられる。もちろん行儀はよいに越したことはないのだが、管理されすぎで子どもらしさを失うようなところまではいかないでほしいものである。

 お菓子を配った後、我々はマイティの各施設を見学しながら説明を聞く。今やネパール最大のNGOとして有名なマイティには、様々な問題に直面した女性や子どもたち(多くの捨て子も!)が送り込まれてきているという。

 もちろんそうした目の前の問題に対処することも重要ではあるのだが、そもそもそうした問題が発生しないように社会全体がよい方向に進んでほしいものである。マイティの活動が拡大することは、決して「喜ばしい」ことではないのだから。本来ならばこうしたNGOが「もはや必要とされない」社会を目指さなければならない。

 その後、再びホスピス訪問。こちらでも、お待ちかねのお菓子配りと、日本から持ってきた子ども向け遊び道具を配る。ここでの子どもたちの動きは、マイティ本部の子たちと違いカオス状態!最初は縄跳びで喜んでいたのが、次のおもちゃが出てくるとワッとみんなが群がってくる。

 結構ウケていたのが、風船にプロペラが付いていて、風船から抜けていく空気の力でプロペラが回り飛んでいくもの。「こらこら君たち!プロペラを付ける前に持って行っちゃいかんがな!」「アッ!風船割れちゃったぁ」「こっちからは風船、あっちからはボールが飛んで来るぅ!」

 こうして見ている限りは本当に元気な子どもたち。実際はHIVを抱えて薬が手放せない。この先どんどん良い薬が開発され、この子たちの人生がより良きものになることを願うばかりである。
④ 8月22日
 カトマンズを離れカカルビッタへ向かう。トランジット・ホーム訪問。この日は国境で保護された4人の女の子たちが滞在していた。驚いたのは女の子たちが結構垢抜けた雰囲気を持っていたこと。会ってみるまでは「田舎の純朴な少女」を想像していたのだが、そこそこ「現代っ子」の雰囲気を持っている。

 特に垢抜けた感じのする2人は出稼ぎではなくお買い物に誘われて連れて行かれそうになっていたとのこと。言うなれば「君たち、原宿に行ったことないの? じゃあ連れて行ってあげる」と誘われてついて来たようなものである。

 垢抜けた服装も、都会での買い物に向けた「精一杯のおしゃれ」だったのかもしれない。残る2人は出稼ぎの名目で連れ出されそうになったらしく、連れてきた男は彼女らのパスポートを持って先に行ってしまったとか。彼女たちはパスポートというものがどれほどの重みを持っているかも知らず、言われるままに国境を越えてしまうところであったのだ。 本当に危機一髪。よくぞ国境で保護してくれたものである。

 トランジット・ホームの次はサッチガッタのメンタルケア施設に。我々が着くとみんながニコニコと出迎えて歓迎の花を渡してくれる。春のラリグラスレポートにあったラダの様子がずいぶんと改善されているとのこと。ラクシュミという子がツアーメンバーに最初からなじんで甘えてくる。ラクシュミは「明日行くのね、明日行くのね」と、翌日のピクニックが楽しみでしょうがない様子。ウキウキしすぎて夜に眠れなくなるのではないかと心配なくらいだ。
⑤ 8月23日
 夜中にものすごい雨の音で目が覚めた。ピクニックへ行けるのか気にしつつ眠り、朝になって起きた後も雨はシトシトと降っている。しかし(たぶん私の)日頃の行いの良さの賜か、天気はだんだん良くなってきた。バスに乗り移動を始めると徐々に日差しも出てくる。

 本当に良かった!目的地である小高い丘の上に立つクリシュナをまつったお寺に着いたときは見晴らしも良く、晴れて暑いくらいになっていた。お茶を飲み軽食を食べ、ダンスにマジックショー。みんなの笑顔が本当にまぶしかった。

8月24日
 朝、国境を見学。国境を行き交うリキシャのドライバーたちが協力者となり、人身売買の疑いのある事例に遭遇したら警察等に行ってくれるという話に感動。少女の保護が地域ぐるみの活動となっていることは頼もしい限りである。

 その後メンタルケア施設で最後のご挨拶。みんな昨日のピクニックの余韻が残っておりニコニコしている。誰かがラジカセを持ってきて音楽をかけたら、昨日の続きでみんな踊る踊る!ラダも踊る!ラクシュミが跳ねる!

 踊り疲れたラダが一休み。ここでうれしい出来事が!何と彼女が私の持つペットボトルを指さして「パニ(水)」と言ったのだ。のどが渇いて水が飲みたくなったのだろう。彼女の口に水を注いでやるとおいしそうに飲んでくれる。これまで心を閉ざしていたラダが、自ら積極的に他者とコミュニケーションを取るようになったのだ。

 春のまり子さんの訪問時と比べて格段の進歩である。サッチガッタのスタッフや一緒に暮らす仲間たちの愛情で、彼女の心に大きな変化が起きたのであろう。本当に素晴らしいことである。

 残念ながら、お昼を過ぎたところでこことはお別れ。ここで暮らす彼女たちにとっての年に一度の「ハレの日」は終わってしまった。この先一年、彼女たちは「ケ」の日々を過ごさなければならない。我々の訪問以外に、せめて季節に一度くらいは「ハレ」の日があるようにならないものだろうか?

8月25日
 朝、ホスピスでのパーティー向け食材の買い出しをした後、マイティ本部へ向かう。韓国から帰国したアヌラダさんにご挨拶。その後ホスピスへ。ホスピスに到着したときには調理はすっかり終わっており、みんなそろって楽しく食事。食事の後にはお楽しみイベントが待っている。

 食後にツアーメンバーはカーテンを閉め切った部屋で出し物の準備。外から子どもたちがのぞこうとするが、変身シーンは誰にも見られてはいけない。ツアーメンバーの女性陣は髭がつき眉毛がつながる。

 男性陣はと言うと、通訳のラジャさんは「ラジャ子」に、徳山くんは「徳子ディディ」に、そして私は「貢」から「ミツコ」に変身したのであった。「美人過ぎる」ミツコの姿に子どもたちはちょっとおののいている感じ。刺激が強すぎたかしら?手品の方はそれなりに上手く行ったと思うのだけど……。

 手品ショーの後は庭で「ミニ運動会」的なゲーム大会。この日も子どもたちは元気いっぱい。疲れすぎて翌日に影響が出ないか心配になってしまう。
⑦ 8月26日
NDWSデイケアセンター訪問。
 お菓子を配り子どもたちと交流した後、日本から持ち込んだ教材玩具をプレゼント。誰でもすぐに使えるものもある一方で、スピログラフについてはスタッフも初めて見るもののようで、その使い方を理解していなかった。歯車を合わせて回すという知識がないために、子どもたちにいきなり渡してもぐちゃぐちゃの線しか描けない。一応、スタッフに説明はしてみたが、ちゃんとマスターしてくれただろうか?こうした知育玩具については、まずスタッフに意味と使い方とを十分教えてから子どもたちに使わせる必要があるものと思われる。

 デイケアセンターを後にして、次はフィールドへ向かう。2007~08年のラリグラスレポートで詳しく紹介されているハシーナの家へ。父親の再婚で当初は心配されていた継母との親子関係であったが、心配はまったく杞憂であったようだ。

 新しい母親は本当に献身的にハシーナの面倒を見ており、二人の間は愛情で強く結びついていることが感じられた。この継母であればハシーナも健やかに成長していくだろうと感じさせる親子関係が築かれており、安心できる訪問だった。後は父親の方にもうちょっとしっかりしてもらわないと!

旅の終わりに
 短縮日程のため、NDWS訪問を持って私はネパールを離れることとなった。当初は短縮日程ではすべてをまわれないかと思っていたのだが、まり子さんのアレンジによりすべての施設をまわることができ、大変感謝している。

 これまでレポートで読むだけだった各施設をまわり、名前しか知らなかった女性や子どもたちと実際に顔を合わせることができて本当にうれしかった。まさに「百聞は一見にしかず」である。この先も彼等の笑顔につながるよう支援を続けていきたい。

 最後に、まり子さん、通訳のラジャさん、そして楽しい旅の道連れとなってくれた徳山君、エミちゃん、アオちゃん、ネモちゃん、ダンニャバード!

(追記)
 青年海外協力隊員としてネパールで生活していたものの、帰国して早18年。年に数回はネパール料理屋でネパール語を話す機会はあれど、やはり言葉は使わないとどんどん衰えてしまう。すっかりボキャ貧になっている自分に愕然。次回行くときまでにはもう少しネパール語を勉強し直さなければ。

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3.スタディツアーに参加して
大森 さん
(大阪 学生 女性)
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 大学時代より、日本に出稼ぎに来て人身売買被害者となった女性の支援や、出稼ぎに行くことなく出身国で暮らしていくための仕事づくりに関心があり、関西で活動してきました。

 大学卒業後はインドで教育支援を行うNGOで勤務していましたが、南アジアで起こる人身売買の実態はどうなっているのか、自分は何ができるのかと感じていました。そのような中、長谷川まり子さんの著書『少女売買』と出会い、ぜひラリグラス・ジャパンさんのネパールでの活動を見せていただきたいと思うようになりました。

 ネパールに到着し、カトマンズのマイティ・ネパールのホスピスを訪問しました。初日、まず女性や子どもたちと顔を合わせました。初めの緊張感とともに、1人ひとりの顔がわかるほど仲良くなりたい、という気持ちも強く感じました。

 女性たちとは、まずビーズ製品の検品を行いましたが、作品の得手不得手もあれば、同じ種類を製作する人や数種類を作る人もいて、実に個性が豊かでした。作品の修正も、新しい製品を学ぶ時も女性たちはとても真剣で、ビーズ製品の製作は女性たちに充実した時間をもたらしているのだ、と感じました。

 ホスピスへはその後も何度か訪問の機会がありましたが、女性やかわいい子どもたちと過ごす時間はとても楽しいものでした。子どもたちと必死になって遊び、その愛らしい様子に女性たちとお腹を抱えて笑い合った時間はとても思い出に残っています。

 マイティ・ネパールの本部では、寮で暮らすたくさんの子どもや女性たちと会い、また職業訓練や識字教室を行う「ワークショップ」なども見せていただきました。

 識字教室では、大変意欲的に文字の練習をする女性もいれば、帰国して間もないのか、表情も反応も少ない方もいました。心身に傷を抱えた女性たちが、職業訓練を経て社会に復帰できるまでには大変な道のりがあり、それに寄り添う活動は辛抱強く、長く継続してこそ意味があるのだ、と感じました。

 また、社会に復帰するにはどのような道を創り出す必要があるのか、ということを考えていくことも重要だと思いました。

 インドとの国境の近く、カカルビッタでは、国境を見学し、トランジット・ホームを訪問しました。インドとネパールの二国間にはビザもパスポートの所持も必要がない、と聞いていましたが、実際に目にした国境は絶えず人の行き来があって開かれており、容易に国境が超えられることを実感しました。

 このような場所で、警察と協働してマイティ・ネパールが設置しているチェックポイントの活動はとても忍耐のいるものですが、未然に人身売買を防ぐ上では大変重要であると感じました。トランジット・ホームには絶えず一時保護された少女がいると聞き、いかに日常的に人身売買が起こっているのか、思い知らされます。

 国境を超える前に救出される少女たちがいることをうれしく思う反面、どうか一人も人身売買に遭わず、チェックポイントも必要のない社会になってほしい、と願わずにはいられませんでした。

 精神疾患を抱える女性たちが暮らすサッチガッタは、国境から少し車で走った場所にありました。最初の印象は、のどかで落ち着いた場所にあるけれども、少し街から離れ寂しい、というものでした。

 現在の場所で施設が開かれる際にも、近隣の住民の不安や偏見があり、施設を理解してもらうまでにスタッフの熱心な活動があった、と聞きました。まだまだ身体、知的、精神障がいへの理解が少ないネパールで、サッチガッタのような施設を運営する困難を知り、それを継続させてきたすばらしさを強く感じました。

 私自身、サッチガッタの女性たちとうまく関われるだろうか、と最初は不安を感じました。しかし、施設やピクニックで一緒に時間を過ごすうち、女性1人ひとりの多様な個性や性格に触れ、それぞれに向き合うことで少しずつ距離が縮まっていくのを感じました。一緒に食事をし、一緒に汗を流しながらダンスをし、心に残る楽しい時間を女性たちにもらいました。

 カトマンズから車を走らせ、NDWSにも訪問しました。障がいに対する知識も、ケアもまだ課題の多いネパールにおいて、資金繰りの課題を抱えながらも障がい者福祉の充実を進める活動を見せていただきました。

 日本とは、宗教観や障がい者へ理解、障がい者制度、地理的制約も違うネパールにおいては、日本の経験から適応できる部分は生かしながらも、ネパール独自の障がい者福祉の発展の在り方を考えていく必要があるのだろう、と感じました。

 スタディツアーから帰国し、もう一度マイティ・ネパールの活動をおさめた番組のDVDを見てみました。映像の中には、見覚えのある建物や、ツアー中に出会った女性たちも登場していることに気がつきました。スタディツアーに参加する前にはネパールという遠い国で起こっていた出来事が、急に自分の身近な問題に感じられた瞬間でした。

 スタディツアーに参加する意義は、実際に目で見て触れて、自分の身近な問題として心で感じることなのだ、と思いました。これからは、私にできることから、人身売買の問題に取り組んでいきたいと思っています。

 ツアー中は、常に熱意にあふれ、活動に奮闘されるまり子さんの姿を見せていただきました。ネパールで関わる女性や子どもたちへの深い愛情、私たちツアー参加者への心遣いを感じ、「本当に素敵な方だなぁ」と尊敬とあこがれの気持ちを抱きました。まり子さんと過ごさせていただいた時間もまた、私にとってとても貴重で大きな収穫でした。

 ツアー参加にあたっては、まり子さんをはじめ、ラリグラス・ジャパンのスタッフの皆さまに大変お世話になりました。現地で通訳に入ってくださったラジャさん、そして参加者の皆さんにも恵まれ、有意義で楽しい時間を過ごすことができました。心から、感謝を申し上げたいと思います。

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4.ハッシ〜ナ
徳山 さん
(東京都 社会人 男性)
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 ツアーに参加するのは今年で3度目だ。そしてハッシーナに会うのも3度目だ。

 今年はどんな成長がみられるだろうか。子供の成長は何よりも嬉しくて……でも淋くて……でも嬉しい。だから何よりも複雑だ。でも今年、そんな複雑さも吹っ飛ぶ出来事があった。それはハッシーナだ。

 過去2回、自分はハッシーナのはっきりとした笑顔を見たことがない。それでもうっすらと感じる感情の起伏に、心の中で一喜一憂した。今年も一緒だと思っていた。特に期待するわけでもなく、期待しないわけでもなく、今年もあるがままを感じようと思った。

 ハッシーナの家まで100メートルくらいの所だっただろうか、家の庭で歩いているハッシーナが見えた。服装が去年よりちょっと大人びているような気がした。たったこれだけだ、たったこれだけの変化で浮かれてしまうくらい嬉しくなってしまった。速くなる歩みを抑えるように歩いた。

 そして3度目の再会。やっぱりちょっと服装が大人びていた。……もう完璧に浮かれてしまった(笑)。浮かれてしまった代償が“期待”だった。ほんの数秒だったろうか、うかつにも期待をしてしまったのだ。






「できれば笑顔を見せてほしい」——こんな期待だったが、ハッと我に返り「イカンイカン、あるがままを感じなければ」と自分を諌めようとした次の瞬間だ。ハッシーナがお母さんのほうを向いてニッコリと笑ったのだ。

!Σ( ̄□ ̄;)
!Σ( ̄□ ̄;)  わ
!!Σ( ̄ロ ̄lll)  わらっ

!Σ( ̄口 ̄;  笑ったあああああ

 い、今、今、わ、わら、わら、笑ったああああああああああああ。今笑ったで、ほんまか? 嘘やろ? ほんまか? ほんまに笑ったで。マジでか? ほんとか? もうようわからん。

 と、とにかく笑った。とにかく……、とにかく……。ウルウル(ノ_<。)うっうっうっ

(全部心の中です)(*´ー`)

 もう満足です。今年のツアーはもうお腹一杯です。今年も最高のツア~になりました。

v(≧∇≦)v イェェ~イ♪

5
5.スタディツアー感想文
根本 さん
(東京都 学生 女性)
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 ラリグラス・ジャパンに出会ったのは高校一年生の時で、その時からネパールで人身売買の被害に遭っている女の子たちのことや、宗教的な意味で障がいを持った子が冷遇されていること等をさわり程度に知っていましたが、実際に現地に行ってみると想像していたのとは随分違って見えたので色々と発見することができました。

 ホスピスの子どもたちは皆とても可愛くて元気で見た目は本当に普通の子に見えたのですが、ホテルに帰る途中のまり子さんの話を聞いていると、やっぱりエイズ患者なんだなと改めて考えてしまい、すごく生々しく感じました。

 子どもたちの中で年長の子がアーシャだと知った時はびっくりしました。私は少女売買をあらかじめ読んでいたので本の中のアーシャは知っていたのですが、かなりお姉さんになったんだなということで衝撃的でした。それと同時に母親であるアプサラが見当たらないことに疑問も持ちました。その時は誰も教えてくれなかったので帰国後HPでその後の記事を読んでアプサラが男と駆け落ちしたという事実を知り、何ともいえない気持ちになりました。

 人身売買の被害を受けた子のほとんどは恋愛を経験したことがないと聞いています。私たちは経験したことがなくても漫画やドラマである程度の知識を持っています。だからホスピスであまり自由がない生活をしていると、好きな人が出来た時、子どもを放り出してでも女になりたいのかなと思いました。

 世間一般の意見だと子どもを捨てるのは悪いことだと言われますが、アプサラの立場になってみると一言で悪いとは言い切れないと思いました。

 マイティで社会復帰のリハビリをしている子たちのほとんどは笑顔でしたが、長い間売春宿にいた子はかなりやつれていて他の子とは明らかに違うという印象を受けました。昔と比べて少しは被害も減ったのではないかと勝手に勘違いしていたので衝撃的でした。この問題は政府がNGOに全て任せてしまっているだけあって、解決まで時間がかかるということがわかりました。

 カカルビッタのマイティで、保護されてまだ時間が経っていない子に会えたのは衝撃的でした。学校に行ってそれなりの知識を持っているはずなのに、人身売買の恐ろしさをわかっていないことにびっくりしました。

 今回、ツアーに参加して一番感じたことは、日本がどれだけ平和な場所なのかということでした。日本がどれだけ便利なのかも改めて思い知らされました。だから少しだけそっちの意味でホームシックになりましたが、帰国の日になるともう少し居たいなという気持ちが出てきました。

 全体的にとても良い経験ができました。今度はネパール語を少しでも覚えて行きたいと思います。
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