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ただいま9 月23 日。牛のいない道路に物足りなさを覚え、お湯のでるシャワーにありがたみを感じた帰国直後の感覚も次第に薄れ、いつもの日常へと戻っていっています。光陰矢のごとしとはよく言ったもので、ネパールから帰ってきてもう一か月になるのかと日の経つ早さには驚かされます。
帰国してから、もう一度長谷川さんの「少女売買」を拝読させていただきました。カカルビッタ、サッチガッタ、トランジット・ホーム……。
出発前は、どこに何があったのかなど、本を読み終わっても整理できていない部分が多々ありましたが、改めて読むと、今度は文字を映像で捉えることができ、
より実りある読書ができました。これからラリグラスのスタディツアーに参加される方々には、出発前と後に読むことをお勧めします!
帰国後の読書で気付いたことは、本の出版時期と今ではまた状況が大きく変わっているな、ということです。
エイズ治療を政府が行ってくれるようになったことは、本当に喜ばしい事だと思いました。またマイティ・ネパール本部、
またその施設の大きさは私の想像のはるか上をいっていました。
さてさてその他出発前の想像と現実のギャップは後で述べるとして、ミツコさんを模倣し、わたしも日ごとの出来事を述べることにします。
以下、駄文拙文、ご容赦ください。
18日
午後、バイラワからカトマンズに戻り、空港の荷物受取所で初めて長谷川さんとミツコさんにお会いしました。夕食はタメル地区の中華レストランで頂きました。
偶然向かいのビルにあったナイトなクラブの様子が二階の窓から少し見え、純粋な19歳の若き二人は湧き出る好奇心を抑えることができない、といった様子でした。 |
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②
長谷川さんがその気持ちをくみ取ってくださり、後日連れていっていただけることになりました。
危険が伴う場所へ行くことは、安全の確保の面などにおいて少なからず心労の種であったと思います。ご尽力いただき、ありがとうございました。
夕食後は、ネパールに出没するというおかまちゃんを見るべく夜のタメル地区を歩きました。
すると手をつないで歩いている男二人組を発見!(゜o゜)「これかーー」っと思っていたら、どうやらネパールでは普通のことのようです。
その夜は警察が多かったせいか、なかなかおかまちゃんに会えず、ホテルに戻ることにしました。
しかし諦められない有志三人で再度タメルの出没スポットに向かいました。
すると後ろから私たちを追い抜き、全力で疾走する彼(彼女?)達を発見!どうやら武装警察から全力で逃走している最中だったようです。
逆境に負けないたくましい生命力をあの後ろ姿から感じました。その夜、下痢をしました。僕も彼らのように異国の食べ物にも負けないたくましい胃腸をもちたいものです。
19日
ネパールの洗礼・下痢に悩まされつつ、ホテルで朝食をとった後、カカルビッタへ。最初に行ったのはトランジット・ホーム。
使えないと評判のゴビンダさん(すいません)にご挨拶しました。
しばらくして、保護されたばかりの13 歳の女の子、アヌーちゃんがスタッフの方と一緒に入室してきました。 長椅子にちょこんと座った彼女の面持ちからは、戸惑いと緊張がうかがえました。
もし彼女が連れ去られ売春宿に売られていたら、とその末路を想像すると、そもそも親御さんに見放されたことで保護されたと考えると手放しでよかったねとは言えませんが、
売られる前に保護されて本当によかったなと思います。 |
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③
と同時に、彼女が保護された裏で年間7000人の誰かが今まさに連れ去られ、 私の想像した末路を現実のものとして体感している、と思うと、
まだまだ活動の強化が必要だと強く感じました。
甘党ゴビンダさんチョイスのクッキーとチャーイをいただいた後、車に乗り込みメンタルケア施設に移動。道中、ミツコさんにいろいろガイドをしていただきました。
「あれはお茶畑」「家の屋根にアンテナがある。こんな田舎にもテレビがあるってこと」等々。この名ガイドの中で1つ、密かに衝撃を受けたことがありました。
それはお茶畑をぬけ、どこまでも広がる大草原が見える道を走っていた時のこと。ミツコさんが大草原を指し、一言「等間隔で並んでいるあの白い石柱が見えるかい?
あれは国境を示す標だよ」と。
こんなに国境がオープンだとは知らず、愕然としました。話は変わりますが、新聞によると日本で詐欺の被害が2012 年、過去最高を記録したそうです。
あんなに注意喚起がなされているにも関わらず、です。偏にはいえませんが、詐欺師側の手口が日々巧妙化していることも一因だと思われます。
彼らはあの手この手で悪事を働いてきます。それはネパールでも同じことが言えるでしょう。
今はボーダーガードで捕まえられていても、いずれはボーダーガードに人がいない午後6 時以降を狙って国境を渡るものが大半を占めるようになると予想されます。
また白昼でも、親子連れにみえるように男女二人で誘拐するシフトがセオリーになるかもしれません。
すでになっている可能性もあります。 システム、施設面で悪事の変化への対応が今後の課題だな……などと思っていた矢先にこのオープンな国境。
抜け道は星の数ほどあることを明示され、 人身売買阻止の困難さ、不可能さを改めて認知させられました。 |
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④
そんなことを考えているうちにメンタルケア施設に到着。私は精神疾患を持った方と接するのは今回が初めてで、
「初めての人は、最初は面食らうかもねー」と長谷川さんにうかがっていた通り、施設の門をくぐった瞬間は少し面食らいました。
各自自己紹介を終え、お待ちかね(?)のお土産タイム。茶色の真鍮ハート型ネックレスと真珠ネックレスの二択でしたが、圧倒的に真珠が人気でした。
どうやら女性のヒカリモノ好きは万国共通なようです。「その選択が、その性質が、古今東西男性の悩みの種となっているのだよ……」と心の中で嘆きながらも、
僕の中で、「精神疾患をもった女性たち」から「おしゃれを嗜む女性たち」にシフトし、肩の力が抜けました。満足していただけたようでなにより!!
お土産タイムの後はみんな座っておしゃべりタイム。女性たちは笑顔を見せる方が半分、無表情かそれに近い方が半分といったところでしょうか。
みんな自分より年上と思いきや、実は年下も多かったりと、年齢の予測はまったくつきませんでした。ただ彼女たちの身体に刻まれた痛々しい傷跡からは、
それまでの人生がどんなものであったかが少しだけ推測できました。
さてさておしゃべりタイムといっても、ネパール語分かりません。当然彼女たちが何をおっしゃっているのかわかりません。
しかし人間目さえ合わせれば、なんとなく気持ちは伝わるだろう。若輩者の考えであると自負しながらも、そのモットーを胸に、ネパール語の会話集プリントを手に、
拙い言葉で必死に会話。
「ネパールに牛はいますか?」「ヤギはいますか?」と、目の前の牛小屋にいるじゃねーかとツッコみたくなる質問にも彼女達は根気よく、 なおかつ優しく答えてくださいました。彼女たちの優しさに逆にこちらが救われました。本当に感謝しています。 |
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⑤
おしゃべりタイムの後はダンスタイム。 やはりダンスというものは苦手である。終始、あみんの「待つわ」程度の動きでなんとか乗り切る。「フェリベトゥラ(また会いましょう)」の声と共にホテルへ戻り、 服作ったりだのなんだのした後、就寝しました。
2 0 日
(このペースで書くと、どえらい文章量になるんじゃないかと冷や冷やしております。)
この日はメンタルケア施設の関係者一同でピクニックへ! 早朝の土砂降りで出発時間が遅れるハプニングがあったものの、“晴れ女”大庭まり子様の御尽力により、この上ない天候でピクニックを迎えました。まぁ、みんな 2時間の遅延もなんのその。
出発から超ハイテンションでバスを走らす。
中で踊る! 歌う! 窓の外ではなぜか男性が走行中のバスをよじ登っている! こんな調子で出発から帰りの「フェリベトゥラ」の挨拶までそのテンションは落ちることはなく、非常に楽しい一日でした。
しかしこの日は狩野にとって反省すべき日となりました。ことの始まりはキャンプ中、キャンプ場の外で草刈りの仕事をしている女の子の様子を目撃したことです。
彼女は仕事も手つかずといった様子で金網の外に立って羨ましそうに私たちを見ていました。見た目から察するに5歳くらい。
そら遊びたいよなーと思いつつ、「こんにちは。踊るのは好きかい?」と金網を挟んで話しかけました。どうやら照れくさいらしく、もじもじ。その後離れたり戻ったりとざっと3時間細かいやりとりがありましたがいろいろ省くと、最終的にその子のお母さんが「いっておいで」と女の子に促し、私に「この子照れて自分で行けないから連れて行ってあげて」的なことをおっしゃってくれたので、キャンプのプログラムの1つ、ダンスパーティーの輪の中に連れて行くべく、その子を抱っこして連れていこうとしました。 |
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⑥
すると慌てたのが今までのやり取りを知らないその女の子のおじいちゃん。必死に追いかけてきました。
確かに外国人に孫が連れ去られるのをやすやす見逃す訳にはいきませんね。結果的に、安全を確保しなければならないマイティの方々にも、
その子のご家族の方にもご迷惑をお掛けすることになり、軽率な行動だったと深く反省しております。今している行動が誰に、
どんな影響を及ぼすのかを多角的に考える習慣を身に着けよう、と誓った19歳の夏でありました。
2 1 日
午前中はメンタルケア施設へ。今、ネパールで大流行だというチャウチャウ(インスタントラーメン)をいただきました。
栄養のかけらもなく、ネパール人の栄養状態が心配になりました。残念ながらこの日でカカルビッタの滞在は最後。
彼女たちの耳に三回目の「フェリベトゥラ」が届けられることはなく、マイクロバスで一行は去りました。
また1 年、彼女たちにはなんら変哲のない日がやってきます。スタッフも忙しさでつぶれてしまわないかと心配です。
後日訪れるカトマンズの本部施設と比べると差が明らかで、今一度あらゆる面でマイティからの資源配分を見直すべきではと思いました。
マイクロバスは空港につき、やたら折り畳み傘で引っ掛かった荷物チェックを経て、飛行機に乗り込みました。
離陸する瞬間も携帯で通話するマナーの悪いおっちゃんのせいで飛行機が落ちるんじゃないかと戦々恐々としながらも、無事カトマンズへ到着。
この日の夜は、脳外科医のビクラムさん(31)とAMDA(NGO)の小林さんと一緒に和食レストランへ。英語力の大切さを痛感しました。
食事後は、前述のダンスバーへ連れて行っていただきました。ギラギラの照明に照らされた舞台の上でセクシーな衣装を身にまとい、踊る女性(男性ダンサーもいました)。
客のテーブルについてドリンクをせがむ女性。そして薄暗いテーブルで行われている客と店のオーナーの交渉……。
今まで想像の世界でしかなかったものが現実となり、すべてが未知で衝撃でした! |
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⑦
この店では、舞台で踊っている女性で気に入った人がいれば、3000 ルピー前後でホテルに連れ出すことができるそうです。
その話を聞いている最中、隣の席の人がオーナーと長々話した末に4000ルピーほど支払って出ていったので、「まさかな……」と思いつつコーラを嗜みました。
百聞は一見に如かずといいますが、実際にその現場を見ることができ、大変有意義でした。
2 2 日
この日金子さんが帰国しました。いつもはひょうひょうとしていた金子さんも、この日ばかりは少し心残りな表情を浮かべていらっしゃいました。
さてこの日はマイティ本部を訪問。想像をはるかに上回る大施設でした。ドイツの支援で建ったと聞いて納得の、立派なヨーロッパ風の煉瓦の建物が何棟もそびえていました。
外だけでなく中もまたすごかったです。高い教育も施しており、授業で使われる教材はすべて英語。ここの教育水準は、日本より進んでいるように思えました。
逆に言えば、海外に行かねば就職口がない、母国語では勉強できないほど弱い国だということですが。
生徒は幼稚園児から中学生までみな立派な制服をもらっていました。幼稚園児までもが革靴を履いているのを見た時は、
「さすがにそこまでしなくてもいいんじゃないか?」と苦笑しました。かと思えば、鉛筆は高級品なので回収すると。
おそらく鉛筆は日本のように簡単には手に入らないのでしょう。国柄の違いがみてとれました。
服から靴まできっちり揃えるというのも、規律を重視するアヌラダさんのご意向なのかもしれません。 |
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⑧
課題と感じたのは生徒の外出が禁じられているといること。私自身、朝から晩まで大学で過ごす生活には息苦しさを感じています。
24 時間ずっといる彼らのマンネリ感、閉塞感からくるストレスは並みのものではないでしょう。
もうひとつ疑問に思ったことは、幼稚園児クラスの子でさえもおとなしく椅子に座ってお勉強していたということです。
普通外国人が突然教室に入ってきたらそわそわしたり騒いだりするものですが……。子どもらしさは失ってほしくないものです。
さて、ミツコさんを模倣して日ごとに分けてここまで書いてみたのですが、4 日分書いた時点でA4 用紙5 枚に到達してしまったので自主規制します。
(笑)本当にすべてが大切で、何枚書いても収まらないほど濃いツアーでした。
今回学んだことを改めて挙げていきます。1 点目は支援方法。ただ支援すればいいってものじゃないことを今回学びました。
ミツコさんがカンボジア学校建設プロジェクトを例に分かりやすく説明してくださったのでご紹介します。
私たちはこういったプロジェクトに対して賛同して支援する場合、ただ金を寄付し、建ったということだけに満足しがちです。
実際は、そもそもどのくらいのお金で学校が建つのか、先生の質はどうか、子どもたちが学校に行ける環境は整っているのか……
等々支援は限りなく続きます。余剰分がNGO 幹部の袖の下に入るということも、少なくはないようです。
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⑨
物乞いも、支援の拙さの産物だとおっしゃっていました。不用意な支援、明確な意図をもたず情にほだされた支援はかえって事態の悪化を招くと教えていただきました。
今回のツアーでも、「車を買いたいから金が欲しい」という現地NGO の要求がありました。
長谷川さんは、いくらで車が買えるのか、出せる金額の限界はいくらか、もっと安く買える方法はないのか、レンタカーではダメなのかなど、
自助努力を促す対応をされていたのが印象に残りました。
2 点目は「無知であること」の怖さです。少女たちが連れ去られるのも親や子どもたち自身の無知に一因があり、
障害児出生も遺伝子的要因によるものと知らないことから、障害児が不当な扱いを受けると長谷川さんは何度も主張されていました。
昨年よりネパールにも、障害児をもつ家庭がわずかながら手当てが受けられるという喜ばしい制度ができたらしいのですが、
情報から隔絶されているためその制度を知らなかったり、知っていても識字ができないため手続きができなかったりするため、利用できていないのが現状だそうです。
結果、さらに生活は厳しくなり、教育を受ける余裕がなくなるなど、教育水準の低さが負のスパイラルを招いています。
かといって、学校を建てればいいか、文字を教えるべくまわればいいかというと、それだけでは解決しません。
宗教・風土・諸問題が密接に絡み合った結果、後発発展途上国という集合体になっており、支援は包括的にアプローチしないと効果がないことをこの旅で学びました。
今後国際支援を考えるとき、これを念頭に置いておこうと思います。
情報社会となった日本とて、「無知」と無関係ではないことも学びました。いかに日本国民が上辺だけの情報に踊らされているか、知ろうとしていないか。また表には流れず、メディア関係者だけが知っている裏話など、連日興味深い話をしていただきました。感動、驚きとともに、いかに今まで自分が無知であったかを思い知らされました。 |
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⑩
3 点目は、行動には責任が伴うということです。例え善意と思ってやったことでも、違う面からみれば重大な問題行動に発展しかねない事もあるし、中途半端な善意は逆に害にさえなり得るということを今回実感しました。今はまだ学生なので「すいません」で許されるかもしれませんが、社会人になるとそうはいかなくなります。今の段階から、「この行動はどういう結果を招くか?
各方面にどう影響を及ぼすか?」と多角的に考える習慣を身に着けようと思いました。
私は今回が初海外でしたが、この二週間は私の今後の人生に大きな影響を及ぼす旅であったと思います。私は絶対にまた海外に行きます。その資金を稼ぐため新しいアルバイトを始めたり、国際関係で活動している学生団体を探したり、世界情勢、一般常識についての本を購入して勉強したりと、少しずつではありますが行動を起こしています。
私がラリグラスに関わるのは今回が最後かもしれません。しかし何十年後かに人生を振り返ったとき、「あの時のラリグラスとの関わりが後の人生を大きく変えた」と言えるぐらい意義のあるツアーでした。今は微力ですが、必ず将来何らかの形で還元します。それがネパールなのか違う国なのか、支援方法も金銭支援なのか現地支援なのか、はたまた日本国内の問題解決に向かうのか……まだベクトルは定まっていませんが、どの方向に向いてもいいよう幅広く勉強し、スカラーを大きくしていこうと思います。
最後になりましたが、この旅を企画してくださったラリグラスの皆さま、ともに喜びや悲しみを分かち合ったツアーの皆さま、訪問を快く受け入れてくださったマイティはじめ現地NGO
の皆さま、本当にありがとうございました!!! そして今、私たちのレポートを読みながらツアーに参加しようかどうか迷っておられる画面の前のあなた!!
是非是非参加されることをお勧めします! あなたの感性でしか感じられない経験ができますし、なによりあなたの訪問を楽しみに待ち続けている人たちがいます! |