第32回、2012年夏スタディツアー感想文 1 2 3 4
  ♪旅程(2012年夏)
8/17(金) 午前 成田発
香港着
夕刻 香港発
カトマンズ着
8/18(土) 午前 ホスピス訪問
午後 マイティ本部にてお菓子セットづくり
8/19(日) 午前 国内線でカカルビッタへ
午後 トランジット・ホーム、メンタルケア施設訪問
夕刻 ホスピス訪問(ビーズ指導)
8/20(月) 終日 ピクニック
8/21(火) 国境見学
午前 トランジット・ホーム、メンタルケア施設訪問
午後 国内線にてカトマンズへ、帰着後、フリーマーケット商品の仕入れ
8/22(水) 午前 マイティ本部訪問:女性と子どもの保護施設・職業訓練施設・小学校などを視察
午後 ホスピス訪問(ビーズ指導)
8/23(木) 終日 ホスピスのみんなと交流プログラム:ランチ・パーティー
8/24(金) 午前 NDWSデイケアセンター訪問
午後 フィールドワーク:NDWS・CBRプログラム対象家庭訪問
8/25(土) 終日 ホスピスのみんなと交流プログラム:映画鑑賞とレストランランチ
8/26(日) 終日 フリータイム、フリーマーケット商品の仕入れ
8/27(月) 終日 ホスピス訪問:フェルト製品製作指導と交流
8/28(火) 終日 ホスピス訪問:フェルト製品製作指導と交流
8/29(水) 午前 出発までフリータイム
カトマンズ発、香港経由で帰国の途へ
8/30(木) 早朝 成田空港解散



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1.ツアー感想文
大庭 さん
(高知 学生 女性)
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今回は約12 年ぶり、2 回目のネパールでした。
1 回目は20 歳のとき、初めての「途上国」でのボランティアで、日本との違いに驚きの連続で夢見心地で過ごしたことを覚えています。(実はそれは100 ルピーそこそこの宿に泊まり、移動はバスやテンプー、トイレットペーパーは使用禁止というかなりストイックな旅だったと今回気がついたのですが……。)
 
 そのときの報告書を懐かしく読み返してみると、私の感想文には「世界で最も貧しいといわれる国に立って、“豊かな”国から自分は何をしに来たのか、 なんだか悲しく思われて仕方なかった」とあり、「豊かさとは何か、貨幣経済とは何か、国際援助とは何か、悩ましく思うようになった」と書いてありました。

 それから12 年。今回のネパールは印象が違うなと感じていました。それは悩ましさより喜びだったように思います。「ないこと」や「できていないこと」よりも これからへの希望と期待、ネパールの貧しさよりもネパールから学ぶこと、そして違いよりも共通点をより多く発見しながら過ごしていました。 これは、自分が少しは大人?になったせいもあったでしょうが、何よりラリグラスのツアーが、長年継続している交流の蓄積と未来志向の支援があり、 その輪の中に参加させていただくプログラムであったからではないかと感じています。

 思えば、出発前は少女売買、障がい者差別、貧富の格差、医療や教育、対中・対印関係等々、いろいろ難しいことをいっぱい考えて眉間に皺を寄せ、肩に力が入っていたように思います。しかし、ツアーが始まると、目の前のその子の笑顔が見られたときの喜びと、ならば笑顔を引き出したい、ということで頭がいっぱいになりました。

 ラリグラス・マジックでしょうか。去年の徳山さんのリポートにあった「!Σ(‾口‾; わ、わらっ、笑ったあああああ)」――あの感激の連続です(勝手に引用してすいません! でもツアー参加前に読ませていただいて“どういうことだろう?”と思っていましたが、ツアー参加中は“こういうことか!”ととても共感していました)。
今でも思い出すとニヤニヤしてしまいます。

 トランジット・ホームでのゴビンダ“ダイ”のあのピクニック準備へのすさまじい手際のよさ。保護されたばかりで硬い表情を見せていたアヌーが、翌日のピクニックではおしゃれにして照れ笑いをしていたこと。ピクニックで初披露した手品は、当日朝にお腹を壊すくらい緊張していましたが、本番になってみれば全員の目を釘づけにできちゃいました。カカルビッタやサッチガッタの子たちやスタッフたちとは踊りまくりました(いや、あのときは少々疲れもあって、正直、踊り足らなかった!)。

 サッチガッタのメンタルケア施設でも、些細なやりとりに心奪われました。ラダが「お腹が痛い」と訴えるので、お腹をさすってあげると、心の中の深いところを覗いているような瞳で見つめられ、吸い込まれそうでした。そして時々見せる笑顔には心が躍りました。

 また、ホスピスではビーズ製品の検品での皆さんの真剣な表情が今思い出してもプレッシャーです。ホスピスに子どもたちが帰ってきたときにはちょうどプシュパに部屋を案内してもらっていたのですが、子どもたちが帰ってきて部屋に入るなり、すぐに私服に着替えて、制服を手早くたたんで各自の棚にしまっていく姿、きれいに片付いた棚も印象的でした。

 翌日は恒例の女装・男装と手品披露。子どもたちもジョークや踊りを披露してくれて、さながらみんなで隠し芸大会。こちらも楽しいですし、子どもたちが作り笑いでなく楽しんでくれている様子には、私たち大学生も踊りか歌かを練習していけばよかったと後悔しました。変装顔のままタメルで握手を求めているころには、すでにツアーの参加目的がみつこディディと同じになってきてしまったなと感じました。

 NDWS でもやはり踊る、踊る。民族衣装を着た子どもたちも保護者もそしてスタッフも皆さん誇らしげで素敵でした。帰国の数日前に長谷川さんとラジャさんと3 人で行ったマイティの赤ちゃん部屋では、子どもたちが突進してきてまとわりつくので、遊んで抱きついて頬ずりし放題。かわいかったー。

 ……ということで、難しいことは抜き、の感想となりましたが、これも私にとっては新しい視点の発見でした。というのも、今までネパールや「途上国」のことを考えるとき、客観的に傍観者として勝手に悩んでいたのかな、と。

 今回ツアーに参加して、困難の中にあるとても大変な人々だと日本で想像していたその渦中の子どもたち・女性たちが、その困難を乗り越えようとする大きな力を秘め、笑顔の中にはよりよい将来への希望を持っていることを知りました。また、誤解を恐れずに言えば、「足るを知る」ことで幸せを見出している姿も教えてもらいました。

 再度ネパールに行くことがあれば、またさらに違った感じ方をすることができるのかもしれないと思います。そして、今後、もし国際協力と言われる分野に関わる機会があれば、私たちから見て「ない」「できない」部分ではなく、本人たちが困っている部分について、このツアーで得た、友だちや家族になるような感覚で、もう一歩踏み込んで、そこから考えるようにしてみようと思っています。いや国際協力の分野でなくても、日々のこととして、ラリグラスのツアーで学んだ姿勢を忘れないようにしたいと思います。

 長谷川さん、ラジャさん、みつこさん、お世話になりましてありがとうございました! そして高知大のみんな、一緒に参加できてよかったです、ありがとう!

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2.スタディツアーに参加して
大野国 さん
(東京都 社会人 男性)
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① 8 月18 日(土)
 前日の深夜にカトマンズの空港に到着。ツアーとしてはこの日が実質的な初日となる。ツアー参加者のうち、高知大学から参加の 5人はこの日の夕方、カトマンズの空港で落ち合う予定。したがって、この日にホスピスを訪問したのは私とまり子アンティ、通訳のラジャさんの3 人のみとなる。

 この日は土曜日であるためネパールでは休日。したがってホスピスでは休日特有のまったりとした時間が流れている。多くがテレビのある部屋に集まり、適当にチャンネルをザッピングしながら過ごしている。現時点ではツアー参加者が私だけであるため、ビーズ関連の検品作業等は後日にまわし、とりあえず挨拶をして話をするくらいで訪問を終えた。

 その後、マイティ本部へ移動。昨年同様、女の子たちに手伝ってもらいながらお菓子の袋詰め作業を行った。例によって、まり子アンティが「何分でできるか計るよ」と檄を飛ばして流れ作業スタート! 残念ながら昨年より若干時間がかかってしまったが16 分40 秒で作業終了。昨年、私がネパール語を話すことにウケていた女の子の姿はこの日は見ることができなかった。

 この日なすべきもう1 つの課題として、23 日に予定されているランチ・パーティー向け資材の買い出しがある。具体的には、女装する男性向け衣装の購入のこと。これまでの衣装はサイズが小さく、男性が着るにはちときついという問題がある(そもそもが女性物なので当たり前ではあるが……)。

 どのような衣装がよいか、まり子アンティと相談した結果「色っぽいナイティ」を購入することに決定。品数豊富なカトマンズ中心部のニューロードをめざす。入ったお店は地元の人が普通に買い物をする店であり、外国人観光客向けの店ではない。そこに入った日本人男女+ネパール人男性という奇妙な組合せ。しばし品定めをした後、店の人に「試着して良いか?」と聞くや、ピンクのナイティを試着しはじめたのは日本人男性!
 
 唖然とするお店の人たち。ゆったり目のナイティは男性が着ても締め付け感はなく、その上、色気も充分(?)。最終的に赤系とピンク系の2 着を購入して店を出た。帰り際、店の女の子に「良い夢を」と言って出てきた私であるが、果たしてその夜、彼女が見た夢は楽しい夢か、はたまた悪夢か?
夕方、カトマンズ空港国内線のターミナルへ高知大学からのツアー参加者を迎えに行く。金子さん(カネやん)、岡本さん(もっち)、狩野さん(カノちゃん)、藤本さん(ナルちゃん)、大庭さん(まり子ディディ)と初顔合わせ。

 8 月19 日(日)

 この日早速、カカルビッタへ移動。まずはトランジット・ホームへ。この日保護されていた女の子は1 人だけ。人身売買にあいそうになった子ではなく、 実母に死なれ再婚した父と継母とが姿を消したため独りぼっちになってしまった少女アヌー。日本で言えば中学2 年生の年齢に当たる女の子が、いきなり家族を失い放り出されてしまったのだ。背景にどのような事情があれ、「子どもを捨てる」という行為は理解しがたい。 アヌーは緊張した感じで保護されたいきさつを語ってくれたが、何とも痛々しい。

 トランジット・ホームの次はサッチガッタのメンタルケア施設に。挨拶をしてツアーメンバーと、保護されている女性たちがそれぞれ自己紹介をする。 ツアーメンバーはネパール語習得済みの私だけでなく、みんなネパール語での自己紹介に挑戦。その心意気や良し!
施設の女性たちはスピーチ・テラピー(2012 年春リポート参照)の効果か、昨年よりよく話すようになったとの印象を得た。 ラクシュミは去年より明らかに語彙が増えており、色々と話しかけてくる。そして、ラダもまた格段の進歩を遂げていたのだ。 昨年のラダは人の目を見ることもなく、常に無表情で感情を見て取ることはできなかった。
しかし今年は、時々ではあるものの、ちゃんと声をかけた相手と視線を合わせるシーンが何度もあった。 そして何より、時折ではあるものの「笑顔」を見せるようになったことはたいへん大きな変化と言えるだろう。
 8 月20 日(月)
 サッチガッタ施設入所者の最大のお楽しみであるピクニックの日。この時期のネパールは雨期に当たり天候がたいへん気になるところ。 夜中はかなりの雨、朝方も少しの雨が降っていたものの、出かける頃にはすっかり雨は上がっていた。 もっとも夜中の雨で道がぬかるんでいたせいで、バスが施設まで乗り付けることができず女性たちの移動に時間が取られ、出発は予定時刻よりだいぶ遅れてしまった。

 今年の目的地は、一昨年も訪れたという湖畔のリゾート。足こぎボートやミニ動物園もある所で、ネパールの地方にしてはそれなりの施設と言える。 天気のほうは薄曇りで、直射日光がないので暑くもなく、日焼けも気にせずにすむ絶好のピクニック日和となった。(きっと私の)日頃の行いの良さ
の賜だろう。
 
 一昨年はおっかなびっくりボートに乗っていたみんなも、今年は2 回目と言うことで楽しんで乗っていた様子だった。 お楽しみはボートの他に、ツアーメンバーの出し物の手品と、例によってダンス・ダンス・ダンス! 前日は緊張していたアヌーもリラックスして楽しんでいたようだった。

 8 月21 日(火)

 朝に国境を見学。朝早くから人通りは多い。この人通りの中で人身売買が疑われる怪しい人物を見つけ出すというのは、根気のいる厳しい仕事である。チェックポスト担当者には頭の下がる思いである。

 国境見学の後はトランジット・ホームとメンタルケア施設とを再度訪問。それぞれで挨拶をした後、カトマンズへ移動。
 8 月22 日(水)
 ツアーメンバー全員がそろったので、改めてマイティ本部を訪問。アヌラダさんは韓国出張中で不在。昨年にアヌラダさんが韓国の『Manhae Prize』を受賞して以降、 最近は韓国でマイティへの支援が盛り上がっているらしく、その関係で韓国に行っているとの話である。一通り見学の後、子どもたちお待ちかねのお菓子配りの時間。 ツアーメンバーから子どもたち 1人ひとりにお菓子が手渡され、みんな笑顔。

 マイティ本部から少し離れた所に建っている中間保護施設(インドから救出された直後の女性を保護)に立ち寄ると、何となく見覚えのある女の子がスタッフの仕事を手伝っていた。 よくよく見ると、昨年、私のネパール語をおもしろがっていた女の子ではないか!

 その上さらにうれしいニュース。何と彼女は、めでたく医学のカレッジに合格し、医者をめざすという素晴らしい成果を上げていたのだ。 マイティに保護されていた幼い少女が医師としてのキャリア獲得に向けて一歩踏み出すことになったのだ。何という朗報! さらにもう1 人の少女も同じく合格しているとのこと。保護された少女たちの優れたロールモデルとして、これからの彼女らの活躍に期待したい。

 午後からはホスピスでビーズ製品の検品作業。私が見た中では、特定の色のビーズを使った作品に不具合が多く見られる結果となった。 どうも、その色のビーズ材料だけが他の色のビーズより品質が劣っており、ばらつきが大きいことが原因のようである。 製品の仕上がり具合を見て、彼女ら自身がそうしたことに気付いて、質の悪いビーズは材料から外すという選択までできるようになればよいのだが……。

 日程の都合により、この日の夜でカネやんは帰国。翌日のパーティーでみんなの注目を浴びる快感を味わうことなく帰ってしまうのは、たいへん残念だと思う。
 8 月23 日(木)
 朝、ホスピスでのパーティー向けに市場で食材の買い出し。昨年はホスピスでの調理に間に合わなかったが、今年は食材とともにホスピスへ移動したので調理もみんなで一緒に楽しむ。

 昨年と異なる点はもう1.つ、日中は子どもたちがホスピスにいないことが挙げられる。子どもたちは皆、ホスピス敷地内の教室ではなく、テレサ・アカデミー本校に通学するようになっていたのだ。 先日の子どもたちの脱走事件(2012年春リポート参照)を受けての措置らしい。子どもたちにとっては毎日ホスピス内で限られた人のみの間で暮らすより、多くの子どもが集まるテレサ・アカデミーで学ぶほうが刺激もあってよい効果をもたらすことだろう。

 子どもたちがいないので我々の「変身」は子どもたちが帰ってくるまでに済ませておけばよく、余裕をもって思う存分「変身」できることになる。ランチの後はいよいよ変身タイム。 まり子ディディはパンチパーマのオヤジ、ナルちゃんは小さなおじさん(?)という感じ。

 男性陣はというと、通訳のラジャさんはいつもの「ラジャ子」に変身。 私のほうは、改めて髭を剃り顔の脂を落として化粧の乗りをよくした上で「美人過ぎるミツコVer.2 in ニュー・ナイティ」へと変身したのであった。今年の新顔カノちゃんは 19才という若さを生かしてお下げ髪の少女、もっちはほっそりとした「眼鏡っ娘」となったのであった。 着ている物は何故か皆ナイティ。私たち「ナイティ・ネパール」?

 子どもたちが帰ってきていよいよショウタイム。まり子アンティが美しいディディたちを指して子どもたちに質問。 「この中で誰が一番きれい?」 子どもたちの一番人気は、何故か美人過ぎるミツコではなく、19才カノちゃん。2位はもっちとなったのだった。

 以下ミツコ独白: 「ちっ! 子どもごときに女の魅力の何が分かるって言うのよ。『鬼も十八、番茶も出花』と言うけれど、18~19 の年齢なら、みんな輝いて見えるのよ。 それで『勝った』なんて思ったら大間違いよ。何年かしたらもう一度勝負おしっ!」

 手品ショーの後は子どもたちの出し物。ネパーリィジョークやダンス等、これまで練習してきた成果を披露。みんなお見事でした。 人に見てもらうために台詞を覚えたりダンスの練習をしたりするのは、勉強とは違った楽しみや張り合いになるので、子どもたちの出し物も恒例行事になればよいと思う。

 8 月24 日(金)

 NDWSデイケアセンター訪問。センターにおける金曜日のカリキュラムはもともとエンターテインメントということもあり、子どもたちはダンスを披露してくれたり、 口にくわえて物を運ぶゲームをしたりして盛り上がる。もちろん、ただの遊びというだけでなく、リハビリも兼ねての内容である。

 センターの後はフィールドへということで、今年もハシーナの家を訪問。 ハシーナは去年より笑顔を多く見せてくれる。それだけ安定した状態で暮らしているということなのだろう。問題は本人をちゃんと医者に診せていないということ。 薬を飲ませるだけでなく、きちんと定期的に診てもらうことは健康管理には欠かせないことなので、お父さんにはしっかりしてもらわないと。
 旅の終わりに

 日程の都合により、今年もNDWS訪問をもって私はネパールを離れることに。本当はホスピスの外出プログラムにも参加したいのだけれど、 飛行機のダイヤの関係で便の設定がなく日程の都合がつけられないことが残念である。

 ツアーに続けて参加すると、施設の女性の症状の改善や子どもたちの成長を見ることができ、支援の効果を実感することができる。 次回いつ訪問できるか分からないが、再びネパールのみんなに会える日が来ることを心待ちにしている。

 高知大学のカネやん、もっち、カノちゃん、ナルちゃん、まり子ディディ。みんなと一緒に旅をできて楽しかったよ。ありがとう!

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3.ラリグラス・レポート2012 夏
狩野 さん
(高知 学生 男性)
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 ただいま9 月23 日。牛のいない道路に物足りなさを覚え、お湯のでるシャワーにありがたみを感じた帰国直後の感覚も次第に薄れ、いつもの日常へと戻っていっています。光陰矢のごとしとはよく言ったもので、ネパールから帰ってきてもう一か月になるのかと日の経つ早さには驚かされます。

 帰国してから、もう一度長谷川さんの「少女売買」を拝読させていただきました。カカルビッタ、サッチガッタ、トランジット・ホーム……。 出発前は、どこに何があったのかなど、本を読み終わっても整理できていない部分が多々ありましたが、改めて読むと、今度は文字を映像で捉えることができ、 より実りある読書ができました。これからラリグラスのスタディツアーに参加される方々には、出発前と後に読むことをお勧めします!

 帰国後の読書で気付いたことは、本の出版時期と今ではまた状況が大きく変わっているな、ということです。 エイズ治療を政府が行ってくれるようになったことは、本当に喜ばしい事だと思いました。またマイティ・ネパール本部、 またその施設の大きさは私の想像のはるか上をいっていました。

 さてさてその他出発前の想像と現実のギャップは後で述べるとして、ミツコさんを模倣し、わたしも日ごとの出来事を述べることにします。 以下、駄文拙文、ご容赦ください。

 18日
 午後、バイラワからカトマンズに戻り、空港の荷物受取所で初めて長谷川さんとミツコさんにお会いしました。夕食はタメル地区の中華レストランで頂きました。 偶然向かいのビルにあったナイトなクラブの様子が二階の窓から少し見え、純粋な19歳の若き二人は湧き出る好奇心を抑えることができない、といった様子でした。
② 
 長谷川さんがその気持ちをくみ取ってくださり、後日連れていっていただけることになりました。 危険が伴う場所へ行くことは、安全の確保の面などにおいて少なからず心労の種であったと思います。ご尽力いただき、ありがとうございました。

 夕食後は、ネパールに出没するというおかまちゃんを見るべく夜のタメル地区を歩きました。 すると手をつないで歩いている男二人組を発見!(゜o゜)「これかーー」っと思っていたら、どうやらネパールでは普通のことのようです。 その夜は警察が多かったせいか、なかなかおかまちゃんに会えず、ホテルに戻ることにしました。

 しかし諦められない有志三人で再度タメルの出没スポットに向かいました。 すると後ろから私たちを追い抜き、全力で疾走する彼(彼女?)達を発見!どうやら武装警察から全力で逃走している最中だったようです。 逆境に負けないたくましい生命力をあの後ろ姿から感じました。その夜、下痢をしました。僕も彼らのように異国の食べ物にも負けないたくましい胃腸をもちたいものです。

 19日
 ネパールの洗礼・下痢に悩まされつつ、ホテルで朝食をとった後、カカルビッタへ。最初に行ったのはトランジット・ホーム。 使えないと評判のゴビンダさん(すいません)にご挨拶しました。

 しばらくして、保護されたばかりの13 歳の女の子、アヌーちゃんがスタッフの方と一緒に入室してきました。 長椅子にちょこんと座った彼女の面持ちからは、戸惑いと緊張がうかがえました。 もし彼女が連れ去られ売春宿に売られていたら、とその末路を想像すると、そもそも親御さんに見放されたことで保護されたと考えると手放しでよかったねとは言えませんが、 売られる前に保護されて本当によかったなと思います。
     

 と同時に、彼女が保護された裏で年間7000人の誰かが今まさに連れ去られ、 私の想像した末路を現実のものとして体感している、と思うと、 まだまだ活動の強化が必要だと強く感じました。

 甘党ゴビンダさんチョイスのクッキーとチャーイをいただいた後、車に乗り込みメンタルケア施設に移動。道中、ミツコさんにいろいろガイドをしていただきました。 「あれはお茶畑」「家の屋根にアンテナがある。こんな田舎にもテレビがあるってこと」等々。この名ガイドの中で1つ、密かに衝撃を受けたことがありました。 それはお茶畑をぬけ、どこまでも広がる大草原が見える道を走っていた時のこと。ミツコさんが大草原を指し、一言「等間隔で並んでいるあの白い石柱が見えるかい? あれは国境を示す標だよ」と。

 こんなに国境がオープンだとは知らず、愕然としました。話は変わりますが、新聞によると日本で詐欺の被害が2012 年、過去最高を記録したそうです。 あんなに注意喚起がなされているにも関わらず、です。偏にはいえませんが、詐欺師側の手口が日々巧妙化していることも一因だと思われます。 彼らはあの手この手で悪事を働いてきます。それはネパールでも同じことが言えるでしょう。

 今はボーダーガードで捕まえられていても、いずれはボーダーガードに人がいない午後6 時以降を狙って国境を渡るものが大半を占めるようになると予想されます。 また白昼でも、親子連れにみえるように男女二人で誘拐するシフトがセオリーになるかもしれません。

 すでになっている可能性もあります。 システム、施設面で悪事の変化への対応が今後の課題だな……などと思っていた矢先にこのオープンな国境。 抜け道は星の数ほどあることを明示され、 人身売買阻止の困難さ、不可能さを改めて認知させられました。
 
 そんなことを考えているうちにメンタルケア施設に到着。私は精神疾患を持った方と接するのは今回が初めてで、 「初めての人は、最初は面食らうかもねー」と長谷川さんにうかがっていた通り、施設の門をくぐった瞬間は少し面食らいました。

各自自己紹介を終え、お待ちかね(?)のお土産タイム。茶色の真鍮ハート型ネックレスと真珠ネックレスの二択でしたが、圧倒的に真珠が人気でした。 どうやら女性のヒカリモノ好きは万国共通なようです。「その選択が、その性質が、古今東西男性の悩みの種となっているのだよ……」と心の中で嘆きながらも、 僕の中で、「精神疾患をもった女性たち」から「おしゃれを嗜む女性たち」にシフトし、肩の力が抜けました。満足していただけたようでなにより!!

 お土産タイムの後はみんな座っておしゃべりタイム。女性たちは笑顔を見せる方が半分、無表情かそれに近い方が半分といったところでしょうか。 みんな自分より年上と思いきや、実は年下も多かったりと、年齢の予測はまったくつきませんでした。ただ彼女たちの身体に刻まれた痛々しい傷跡からは、 それまでの人生がどんなものであったかが少しだけ推測できました。

 さてさておしゃべりタイムといっても、ネパール語分かりません。当然彼女たちが何をおっしゃっているのかわかりません。 しかし人間目さえ合わせれば、なんとなく気持ちは伝わるだろう。若輩者の考えであると自負しながらも、そのモットーを胸に、ネパール語の会話集プリントを手に、 拙い言葉で必死に会話。

 「ネパールに牛はいますか?」「ヤギはいますか?」と、目の前の牛小屋にいるじゃねーかとツッコみたくなる質問にも彼女達は根気よく、 なおかつ優しく答えてくださいました。彼女たちの優しさに逆にこちらが救われました。本当に感謝しています。
     

 おしゃべりタイムの後はダンスタイム。 やはりダンスというものは苦手である。終始、あみんの「待つわ」程度の動きでなんとか乗り切る。「フェリベトゥラ(また会いましょう)」の声と共にホテルへ戻り、 服作ったりだのなんだのした後、就寝しました。

 2 0 日
(このペースで書くと、どえらい文章量になるんじゃないかと冷や冷やしております。)

 この日はメンタルケア施設の関係者一同でピクニックへ! 早朝の土砂降りで出発時間が遅れるハプニングがあったものの、“晴れ女”大庭まり子様の御尽力により、この上ない天候でピクニックを迎えました。まぁ、みんな 2時間の遅延もなんのその。 出発から超ハイテンションでバスを走らす。

 中で踊る! 歌う! 窓の外ではなぜか男性が走行中のバスをよじ登っている! こんな調子で出発から帰りの「フェリベトゥラ」の挨拶までそのテンションは落ちることはなく、非常に楽しい一日でした。

 しかしこの日は狩野にとって反省すべき日となりました。ことの始まりはキャンプ中、キャンプ場の外で草刈りの仕事をしている女の子の様子を目撃したことです。 彼女は仕事も手つかずといった様子で金網の外に立って羨ましそうに私たちを見ていました。見た目から察するに5歳くらい。

 そら遊びたいよなーと思いつつ、「こんにちは。踊るのは好きかい?」と金網を挟んで話しかけました。どうやら照れくさいらしく、もじもじ。その後離れたり戻ったりとざっと3時間細かいやりとりがありましたがいろいろ省くと、最終的にその子のお母さんが「いっておいで」と女の子に促し、私に「この子照れて自分で行けないから連れて行ってあげて」的なことをおっしゃってくれたので、キャンプのプログラムの1つ、ダンスパーティーの輪の中に連れて行くべく、その子を抱っこして連れていこうとしました。
 
 すると慌てたのが今までのやり取りを知らないその女の子のおじいちゃん。必死に追いかけてきました。 確かに外国人に孫が連れ去られるのをやすやす見逃す訳にはいきませんね。結果的に、安全を確保しなければならないマイティの方々にも、 その子のご家族の方にもご迷惑をお掛けすることになり、軽率な行動だったと深く反省しております。今している行動が誰に、 どんな影響を及ぼすのかを多角的に考える習慣を身に着けよう、と誓った19歳の夏でありました。


 2 1 日
 午前中はメンタルケア施設へ。今、ネパールで大流行だというチャウチャウ(インスタントラーメン)をいただきました。 栄養のかけらもなく、ネパール人の栄養状態が心配になりました。残念ながらこの日でカカルビッタの滞在は最後。 彼女たちの耳に三回目の「フェリベトゥラ」が届けられることはなく、マイクロバスで一行は去りました。

 また1 年、彼女たちにはなんら変哲のない日がやってきます。スタッフも忙しさでつぶれてしまわないかと心配です。 後日訪れるカトマンズの本部施設と比べると差が明らかで、今一度あらゆる面でマイティからの資源配分を見直すべきではと思いました。

 マイクロバスは空港につき、やたら折り畳み傘で引っ掛かった荷物チェックを経て、飛行機に乗り込みました。 離陸する瞬間も携帯で通話するマナーの悪いおっちゃんのせいで飛行機が落ちるんじゃないかと戦々恐々としながらも、無事カトマンズへ到着。

 この日の夜は、脳外科医のビクラムさん(31)とAMDA(NGO)の小林さんと一緒に和食レストランへ。英語力の大切さを痛感しました。 食事後は、前述のダンスバーへ連れて行っていただきました。ギラギラの照明に照らされた舞台の上でセクシーな衣装を身にまとい、踊る女性(男性ダンサーもいました)。 客のテーブルについてドリンクをせがむ女性。そして薄暗いテーブルで行われている客と店のオーナーの交渉……。 今まで想像の世界でしかなかったものが現実となり、すべてが未知で衝撃でした!
     

 この店では、舞台で踊っている女性で気に入った人がいれば、3000 ルピー前後でホテルに連れ出すことができるそうです。 その話を聞いている最中、隣の席の人がオーナーと長々話した末に4000ルピーほど支払って出ていったので、「まさかな……」と思いつつコーラを嗜みました。 百聞は一見に如かずといいますが、実際にその現場を見ることができ、大変有意義でした。

 2 2 日
 この日金子さんが帰国しました。いつもはひょうひょうとしていた金子さんも、この日ばかりは少し心残りな表情を浮かべていらっしゃいました。

 さてこの日はマイティ本部を訪問。想像をはるかに上回る大施設でした。ドイツの支援で建ったと聞いて納得の、立派なヨーロッパ風の煉瓦の建物が何棟もそびえていました。 外だけでなく中もまたすごかったです。高い教育も施しており、授業で使われる教材はすべて英語。ここの教育水準は、日本より進んでいるように思えました。 逆に言えば、海外に行かねば就職口がない、母国語では勉強できないほど弱い国だということですが。

 生徒は幼稚園児から中学生までみな立派な制服をもらっていました。幼稚園児までもが革靴を履いているのを見た時は、 「さすがにそこまでしなくてもいいんじゃないか?」と苦笑しました。かと思えば、鉛筆は高級品なので回収すると。 おそらく鉛筆は日本のように簡単には手に入らないのでしょう。国柄の違いがみてとれました。 服から靴まできっちり揃えるというのも、規律を重視するアヌラダさんのご意向なのかもしれません。
 
 課題と感じたのは生徒の外出が禁じられているといること。私自身、朝から晩まで大学で過ごす生活には息苦しさを感じています。 24 時間ずっといる彼らのマンネリ感、閉塞感からくるストレスは並みのものではないでしょう。

 もうひとつ疑問に思ったことは、幼稚園児クラスの子でさえもおとなしく椅子に座ってお勉強していたということです。 普通外国人が突然教室に入ってきたらそわそわしたり騒いだりするものですが……。子どもらしさは失ってほしくないものです。

 さて、ミツコさんを模倣して日ごとに分けてここまで書いてみたのですが、4 日分書いた時点でA4 用紙5 枚に到達してしまったので自主規制します。 (笑)本当にすべてが大切で、何枚書いても収まらないほど濃いツアーでした。

 今回学んだことを改めて挙げていきます。1 点目は支援方法。ただ支援すればいいってものじゃないことを今回学びました。 ミツコさんがカンボジア学校建設プロジェクトを例に分かりやすく説明してくださったのでご紹介します。

 私たちはこういったプロジェクトに対して賛同して支援する場合、ただ金を寄付し、建ったということだけに満足しがちです。 実際は、そもそもどのくらいのお金で学校が建つのか、先生の質はどうか、子どもたちが学校に行ける環境は整っているのか……

 等々支援は限りなく続きます。余剰分がNGO 幹部の袖の下に入るということも、少なくはないようです。
     

 物乞いも、支援の拙さの産物だとおっしゃっていました。不用意な支援、明確な意図をもたず情にほだされた支援はかえって事態の悪化を招くと教えていただきました。

 今回のツアーでも、「車を買いたいから金が欲しい」という現地NGO の要求がありました。 長谷川さんは、いくらで車が買えるのか、出せる金額の限界はいくらか、もっと安く買える方法はないのか、レンタカーではダメなのかなど、 自助努力を促す対応をされていたのが印象に残りました。

 2 点目は「無知であること」の怖さです。少女たちが連れ去られるのも親や子どもたち自身の無知に一因があり、 障害児出生も遺伝子的要因によるものと知らないことから、障害児が不当な扱いを受けると長谷川さんは何度も主張されていました。

 昨年よりネパールにも、障害児をもつ家庭がわずかながら手当てが受けられるという喜ばしい制度ができたらしいのですが、 情報から隔絶されているためその制度を知らなかったり、知っていても識字ができないため手続きができなかったりするため、利用できていないのが現状だそうです。

 結果、さらに生活は厳しくなり、教育を受ける余裕がなくなるなど、教育水準の低さが負のスパイラルを招いています。 かといって、学校を建てればいいか、文字を教えるべくまわればいいかというと、それだけでは解決しません。 宗教・風土・諸問題が密接に絡み合った結果、後発発展途上国という集合体になっており、支援は包括的にアプローチしないと効果がないことをこの旅で学びました。 今後国際支援を考えるとき、これを念頭に置いておこうと思います。

 情報社会となった日本とて、「無知」と無関係ではないことも学びました。いかに日本国民が上辺だけの情報に踊らされているか、知ろうとしていないか。また表には流れず、メディア関係者だけが知っている裏話など、連日興味深い話をしていただきました。感動、驚きとともに、いかに今まで自分が無知であったかを思い知らされました。
 
 3 点目は、行動には責任が伴うということです。例え善意と思ってやったことでも、違う面からみれば重大な問題行動に発展しかねない事もあるし、中途半端な善意は逆に害にさえなり得るということを今回実感しました。今はまだ学生なので「すいません」で許されるかもしれませんが、社会人になるとそうはいかなくなります。今の段階から、「この行動はどういう結果を招くか? 各方面にどう影響を及ぼすか?」と多角的に考える習慣を身に着けようと思いました。

 私は今回が初海外でしたが、この二週間は私の今後の人生に大きな影響を及ぼす旅であったと思います。私は絶対にまた海外に行きます。その資金を稼ぐため新しいアルバイトを始めたり、国際関係で活動している学生団体を探したり、世界情勢、一般常識についての本を購入して勉強したりと、少しずつではありますが行動を起こしています。

 私がラリグラスに関わるのは今回が最後かもしれません。しかし何十年後かに人生を振り返ったとき、「あの時のラリグラスとの関わりが後の人生を大きく変えた」と言えるぐらい意義のあるツアーでした。今は微力ですが、必ず将来何らかの形で還元します。それがネパールなのか違う国なのか、支援方法も金銭支援なのか現地支援なのか、はたまた日本国内の問題解決に向かうのか……まだベクトルは定まっていませんが、どの方向に向いてもいいよう幅広く勉強し、スカラーを大きくしていこうと思います。

 最後になりましたが、この旅を企画してくださったラリグラスの皆さま、ともに喜びや悲しみを分かち合ったツアーの皆さま、訪問を快く受け入れてくださったマイティはじめ現地NGO の皆さま、本当にありがとうございました!!! そして今、私たちのレポートを読みながらツアーに参加しようかどうか迷っておられる画面の前のあなた!!

 是非是非参加されることをお勧めします! あなたの感性でしか感じられない経験ができますし、なによりあなたの訪問を楽しみに待ち続けている人たちがいます!

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4.スタディツアー感想文
藤本 さん
(高知県 学生 女性)
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 今回のスタディツアーは、カトマンズの空港で長谷川さんと大野国さんに迎えられて始まりました。 遠くから長谷川さんが大きく手を振り、笑顔で迎えていただいた光景が今でも目に浮かびとても懐かしく思います。 慣れない土地と暑さと新しいプログラムに参加する緊張から、自分でも気づかないうちに疲れがたまっていたらしく、長谷川さんの笑顔にはとても癒されたのを覚えています。

 早速次の日に飛行機でカカルヒビッタへ行き、サッチガッタのメンタルケア施設へ行きました。 施設に入るとすぐに女の子たちがお花を持って出迎えてくれました。施設の女の子たちは私たちを受け入れてくれるのだろうか、逆に私は受け入れることができるのだろうか、 どのように接したらいいのだろうか……など不安と緊張でいっぱいでしたが、彼女たちの笑顔と歓迎のお花は私の不安を一気になくしてくれました。

 お菓子やアクセサリーを配り、突然始まったダンスで彼女たちと交流するうちに、どんどん彼女たちとの距離が狭くな
るような気がしました。貰ったアクセサリーを嬉しそうに身につけている姿、「とても可愛いよ」と声をかけると照れくさそうに、 しかし嬉しそうに微笑む姿は、私の心を和ませました。

 次の日は彼女たちとピクニックへ。前日彼女たちとあれほどダンスを踊ったのに、まだ私は「彼女たちは私のことを受け入れてくれたのだろうか」 「どのように関わったらいいのだろうか」などと考えながらサッチガッタからのバスを待っていました(自分がものすごく臆病なことにドン引きしました)。 バスが来て緊張しながら乗り込むと、言うまでもなくみんな「ナマステ!」と笑顔で迎えてくれました。

 バスの中でも突然ダンスが始まり、着いてもダンスをして、帰りのバスでもみんな踊っていました。 ご飯を食べたり、マジックショーをしたりボートに乗ったり、みんな笑顔で楽しそうでした。自分はなんて単純なのだろうと思いましたが、 そんな様子を見ていて幸せな気持ちになりました。すごく安心した気持ちになりました。

  楽しい2 日間も終わり、サッチガッタの子たちと別れの挨拶をしました。ラクシュミは「また来てくれる? また来てくれる?」と私の手を握って言ってくれていたそうです。 私は一瞬何と声をかけてよいか分かりませんでした。後にも先にも私の悪い癖ですが、必要とされていると感じるとどうにも断れない性分の私は、「また来るね」と言っていました。

 カトマンズへ戻り、ホスピスを訪問しました。検品作業は非常に心苦しかったですが、心を鬼にして微妙なものがあれば「まりこさんがダメと言ったから……(焦り)」と、 まり子さんを楯にして乗り切りました。しかし彼女たちの作った商品は想像していた以上にクオリティーの高いもので驚きました。 まり子さんの話によると本部には作り方を教えないなど、彼女たちの商品に対するプライドがあるようでした。

 彼女たちにとって日本でちゃんと売れる商品を作り、それがお金として戻ってくることは、誇らしいことなのだろうと思いました。 一方的に支援するのではなく、決して高くはないけど彼らができることに対して公正な取引をすることも、1 つの支援方法だと学びました。

 検品後は下校したこどもたちへプレゼントを渡しました。互いにシールを見せあっている姿は日本の子どもと変わらず微笑ましかったです。 そしていよいよ手品ショーです。みつこさんには本当の大人の色気を教えていただきました。 仮装も手品も子どもたちにも大ウケで、可愛いダンスなども見られたし、おかしな夕方を過ごせました。 帰宅途中のみつこさんの街の人への挨拶まわりの様子を見ても、19の私はまだまだ青いなと思い知らされた夜でした。

 次の日はNDWS を訪問しました。NDWS では保護者の方々が協力的に活動を行なっていることに驚きました。 障害者と認められるための活動や、学校訪問をして生徒から親にNDWS を知ってもらう活動など、かなり具体的だったので、実際に私も一度参加してみたいと思いました。 どのように行なっているのか、対象者の反応なども気になります。なによりお金のない学生は体を使えばいい!
と学んだので。
     

 一方で、障害者と認められても手当が支給されていないという現状もあるということで、やっぱりなと思うと同時に、どれだけ国がよい制度を作ったとしても、 それが全ての人に行き渡っていないのかと憤りを感じました。

 NDWS を後にし、ハッシーナの家を訪問しました。沢山の人が来たせいか、若い男の子が来たせいか、彼女は終始ご機嫌な様子でした。 お母さんが偉い、と聞いていましたが実際会ってハッシーナを献身的に世話する様子は確かにすごいと思いました。 お父さんは、ハッシーナが可愛くてしょうがないのかなという印象を受けましたが、とりあえず彼女を早く病院へ連れて行ってあげてほしいです。

 
 そして待ちにまった映画鑑賞の日です。みんなすごくおめかしをしていて、今日のこの日が彼らにとってどれだけ特別な日なのか伝わりました。 どこを歩く時も手をつないでくる子どもたちは、可愛いくてこのまま日本に連れて帰りたいと思ってしまうほどでした。

 映画の後、昼を食べて子どもたちと遊びましたが、子どもたちのパワーには圧倒されるばかりでした。 私のカメラで、ポーズを決め互いにとりあっていたので、後でデータを見ると、そこに写る姿はわたしより大人びて見えました。 みんな久しぶりの外出は楽しそうで嬉しかったのですが、普段外出禁止と言うのは少々やりすぎではないかと思います。

 確かに危険だから監視したいというのもわかりますが、一方でそれに反抗というか、与えられて当然の自由を求める気持ちも分かって欲しいとも思いまいした。
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