2016年夏(36回)スタディツアー感想文
3)大関さん(神奈川 社会人 女性)
私は以前にまり子さんの著書『少女売買』を読み、強い感銘を受けました。
それからは人身売買とレスキューされた少女たちのその後がずっと気になり、自分に何かできないかと常に頭の片隅にありました。
実際にネパールに行って現状を知りたいと思い、今回スタディツアーに参加しました。
ネパール到着の初日から、マイティ・ネパールを訪問し、お菓子のパッキングに始まり、ホスピス訪問、プリベンション・キャンプ訪問、トランジット・ホーム訪問、インド国境見学、NDWS訪問等、多くの施設見学をして職員の方々から貴重な話を聞くことができました。
被害者の体験してきた話やネパールの現状を聞き精神的に辛くなったり、ヘタウダへの片道5時間強の荒れた道のドライブや暑さに身体的にも辛くなることがありましたが、振り返るとすべてが貴重な体験で、密度の濃い日々でした。
(続き)
ツアーメンバーと顔合わせをした後、日本からのお土産品各種を広げて遊んだり、外に出てバドミントンやボール遊びを始めたり。
ホスピスでひとしきり遊んだ後、ツアーメンバーはマイティ本部へ移動。恒例のお菓子詰め合わせを子どもたち何人かに手伝ってもらって作業開始。
あっという間に作業は終わって、お楽しみお配り会へ。手分けして子どもたち1人ひとりへお菓子を手渡していく。みんなニコニコ。
特にピクニックは、施設の女性や子どもたちと長く過ごすことができて楽しい時間でした。
2回あったピクニックでは、どちらも大人も子どももみんなおしゃれをしていてピクニックを楽しみに待っていたことを感じました。
1回目のピクニックでは、一緒に食べようと少女たちが誘ってくれてカレーを食べましたが、緊張して紙皿がずれてカレーをズボンにかけてしまい、少女たちにもツアー参加者の方々にも驚かれてしまいました。
カレーをこぼした私に少女たちが紙皿の持ち方を教えてくれて、私が食べるたびに少女たちが笑いながら見ていてさらに緊張してしまいました。
その後は、踊る! 食べる! 踊る! 食べる! 踊る! と彼女たちの食欲とダンスに圧倒され、これがまり子さんの言っていた延々と踊り続けるピクニックなのだと実感しました。
2回目のピクニックでは、ネパールメイクを希望したのに、なぜかおじさん顔に仕上がってしまい、おじさん顔で子どもたちと過ごしました。
どの子も良く笑い、良く食べて元気でした。その中で一緒にお散歩をした少女が私に「アンティ、私の名前を覚えている? 言ってみて。
また逢える? いつ来るの?」と何度も何度も自分(少女)の名前を私が覚えているか確認してくることでした。
子どもたちは、ホスピスでスタッフの方々や仲間に囲まれて生活している。守られているけれど多くの中の1人でしかないことへの寂しさや物足りなさを少なからず抱いているのだと感じました。
私は聞かれるたびに、少女の名を呼び「来年の8月にまた来るね」と答えました。答える時にかなり勇気が必要でした。
今回はただ体験してみるという気持ちで参加したスタディツアーでしたが、子どもたちとの約束を破れない、来年も何とか都合をつけてスタディツアーに参加しようと思いました。
最終日にマイティ・ネパールへ挨拶に行った時、生後数日の乳児が2人保護されていました。一人は臍帯がついたままで保護されて、もう一人は口唇裂の障害のある乳児でした。
親の事情で育てられないから、障害があるからと親が育児を放棄してしまう現状とそれが事件にならないネパールの現状に衝撃を受けました。
しかし、ツアーで出会った女性も子どもたちも一生懸命に生きていました。また、ピクニックや市場で遠くから私たちを見ている貧しい子どもたちもたくさん見ました。
今回のスタディツアーで、求める人に何か少しでも自分のできることはないかと自問自答する機会が多々ありました。
ネパールで起きている悲しい出来事を知らなければ支援もできません。
大きなことはできないけれど、継続してラリグラス・ジャパンの活動に参加し、周囲にもこの活動を知らせていきたいと思います。
最後に、短い間でしたがとても充実した日々を過ごせました。このツアーのためにご尽力いただいたまり子さん、石川さん、ラリグラス・ジャパンスタッフの皆さま、本当にありがとうございました。
社会人の方々には本当に随所で助けていただきました、感謝しています。
学生の方々はみんな優しくて素直で元気で、一緒に過ごせて楽しかったです、ありがとうございました。
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