2016年夏(36回)スタディツアー感想文
5)金子さん(埼玉 学生 女性)
「来年も行くことにした」
 ただいま、の次にこの言葉を聞いた家族は、果たしてどう思ったのだろう。そもそもこのスタディツアーに参加すること自体反対していた両親にとっては、驚きの展開だっただろうな、と思う。

 実は、次回も参加したくなるなんてことは私にとっても想定外の出来事だった。 私の乏しい知識内での理解は、ネパールは治安が悪い・街が発展していない・清潔でない・食べ物がおいしくない……とにかく、無条件に安全が保障されているような国ではないことくらいはわかっていた。 外務省のサイトでも危険レベル2に指定されるような地域のある国なんだから……と心配する両親を必死に説得して勝ち取った参加権ではあったが、能天気な私にも危機感がまったくないわけではなく。

 出発まであと数日に迫ったある日、隣国バングラデシュでテロが発生したときには、さすがに「おとなしく言うこと聞いてればよかったかも……滞在中にテロが起きたらどうしよう……」とすっかり弱気になり、何となく荷造りが進まないような気になっていた。

続き
 そんなヘタレな感情をもちながら入国した私が、最終的には後ろ髪を引かれる思いでネパールを発つことになった一番の理由は、やはり施設の女性との交流だろう。

 女性たちはみんな気さくで、元気で、笑顔がキラキラしていて、だから私は度々、彼女たちが壮絶な過去を背負っていることを忘れそうになってしまった。 貧困のために家族に売られた女性、騙され売られたショックから精神疾患を患ってしまった女性、救出されても家族に引き取りを拒否された女性、 売春宿でHIVに感染しいつ命が尽きるかわからない女性…… 施設にいたのは、私たちが想像してはいけないのではないかと思うほど暗く重い痛みと共に生きている女性ばかりだった。

 しかし、彼女たちはみんな素敵な夢をもっていた。彼女たちは「医者になりたい」「ダンスの先生になりたい」と、次々に瞳を輝かせながら自分の夢を語ってくれた。 恵まれない不条理な環境に置かれながらも、状況を悲観せず未来を見据えて逞しく生きていこうとする彼女たちの姿は、強く、美しく、眩しくて、温室で育ってきた私の心を強く打った。

 私たちは施設の女性たちと2回ピクニックに出かけたが、2回目のピクニックでアンジャナという少女に出会った。 彼女は言葉の壁に戸惑う私にたくさん話しかけてくれて、私たちはすぐに親しくなった。皆で歌い、踊り、ご飯を食べ、マジックをし、また踊り…… そろそろお開きかという頃になって、このアンジャナという少女が瞳に涙を湛えながらこう言ってくれた。

 「今日はありがとう。一生忘れないと思います」
とっさに「来年も来ないといけないなぁ」と思った。人生の中で「一生忘れない」ほど嬉しいこと、楽しいことはそう多くないように感じる。 私たちとのピクニックは、少なくとも彼女にとっては一生忘れられない出来事で、彼女の人生の中でひときわ強い光を抱えた思い出として記憶される。 彼女は今日のピクニックを全力で楽しめたのか? 私たちは彼女たちのために全力を尽くせたのか? …… 次は、もっともっと、彼女たちを楽しませなければ。自然とそう思えた。

 いよいよお別れ、というとき、たくさんの少女たちが「私のこと、忘れないでね」と私の腕に油性ペンで名前を書いてくれた。 お返しに、私も彼女たちの細い腕に自分の名前を書く。約束ね、消えそうになったらノートに書き写してね、と念押しする少女を前に、やっぱりまた来ないとな、と決意を固くしたのである。

 彼女たちのことを考えていると、今でも泣きそうになってしまうことがある。ネパールでの思い出は楽しいことばかりだったのに。 少女たちの輝く笑顔を思い出せば思い出すほど、訳も分からず泣きたくなってしまう。そんなときは、彼女たちと息を切らしながら歌い踊ったダンスナンバーを脳内でガンガンにかけ、必死に涙を追い出す。 そして私と同じくダンスが大好きなアンジャナに心の中で話しかける。「私も一生忘れないよ。でも、来年また、一生の思い出を上書きしに行くから」

Copyright (C) Laligurans Japan