2017年夏(37回)スタディツアー感想文
14)柳澤さん(群馬 学生 女性)
私は2017年8月4日から8月15日までの11日間、ラリグラス・ジャパンさんのもと、学校の SGH活動の一環としてネパールスタディツアーに参加させていただきました。今回の感想文ではたくさんのかけがえのない経験の中から絞り、11日間をネパールで過ごした私の感情と学びを書き記させていただきます。
まずはじめに、私が一番心に残っているある少女との出会いについてです。村の奥地で生活をしている少女たちに教育を提供するため作られたプリベンション・キャンプ、そのプリベンション・キャンプにいる女の子たちとピクニックをする日に私はその少女と出会いました。その少女はネパールの現地語しか喋ることができません。私と少女は言語でのコミュニケーションはまったくとれない同士でした。
しかし、そんな私たちを結びつけたのはダンスでした。暑い中、1つの小屋で何曲も何曲も向き合い、互いに最高の笑顔で踊り続けるあの瞬間は今でも忘れられないものです。
(続き)
あの少女の笑顔は純粋で汚れのない、まさに「少女」という文字が表現するそのものでした。しかし、そんな少女の純粋な笑顔の裏には想像もつかないような過酷な現実がありました。楽しい時間が続く中、通訳のラジャさんのもと、その少女がプリベンション・キャンプに入る前までの生活を聞かせてもらったとき、私は驚きました。
私とほとんど年齢が変わらないその少女は、村で何時間も過酷な山道を重い荷物とともに上っては下り、少女の何倍も大きな水牛を操る、過酷な重労働を毎日行っていました。少女が住む貧しい村では生まれた子どもも1つの大事な労働力となるのです。そのため、学校には小学2、3年ほどしか通わずにやめてしまう子どもが多数であるという現状があります。教育を受けていない子どもたちは純粋で無垢であり、社会をあまり知りません。そして早くこの苦しい生活から抜け出したい一心で重労働を担っています。そんな子どもたちが人身売買の大人に狙われ、だまされてしまうのです。人身売買被害者を減少させるためには1つ、教育の提供があげられるのです。そのためにこのプリベンション・キャンプが存在します。
今までただただ楽しく向き合い踊り続けていたあの少女に、私はかわいそうという感情よりも尊敬の感情を強く抱きました。私は当たり前のようにお母さんが作った朝ご飯を食べ、当たり前のように電車を使って学校に行き、当たり前のように勉強をし、当たり前のようにベッドで寝る、そんな生活を17年間送ってきました。しかし、私と同世代の女の子が国の違いでこんなにも過酷な毎日を送っているなんて想像すらもしませんでした。
日本での生活が普通だと思っていた私にとって、この少女との出会いは大きなカルチャーショックを受けたと同時に、さまざまな感情とこれからの行動について考えるようになりました。いったい何が幸せなのか、どんな生活が幸せなのかを考え、この少女に、ネパールの子どもたちの幸せを感じてもらうために私は何かできることがある、できることをしていきたい、そんな想いが強く表れました。ネパールの子どもたちに幸せを感じてもらうためのピクニックもどれだけ大切であるかを実感した瞬間でした。
ピクニックが終わった翌日、プリベンション・キャンプの視察に行きました。そしてそれは少女との別れの日でもありました。そして別れのとき、全員で別れの挨拶を述べた後、私はしっかり少女に別れを述べられずにプリベンション・キャンプを後にしました。しかしどうしても名残惜しく、もう一度プリベンション・キャンプに足を踏み入れたその時、あの少女が私のところに駆け寄ってきました。しっかり別れを述べたい、同じ想いが私にも少女にもあったのだと思います。そして別れの瞬間、少女はある物を手にしていました。それは黄色いネックレス。これを私に手渡してくれました。「このネックレスが私たちの友情の証だよ。私を忘れないでいてね」と言っているように感じました。言葉が通じない中でも通じる何かがありました。
私は今でもこのネックレスを大切にしまっています。まるでこのネックレスは日本の私とネパールの少女を結ぶ糸のようです。少女の夢は村のテーラーになることです。いつかこのネックレスとともに少女のテーラー店に行き、大好きな少女に再び会うことが私の1つの夢です。
次にネパールの食事についてです。ネパールでは毎日が初体験で、中でも食事は驚きと挑戦だらけでした。初めて手で食べたカレー、野良犬と少女とともに地面にしゃがんで食べたピクニックのご飯、あまりのおいしさにびっくりしたネパール料理モモや、ネパールの伝統料理である水牛の脳や腸、目玉の煮込みなど、忘れられない食事ばかりです。
食べることが大好きな私は、せっかくネパールに来たのだから食べられるものは全部食べようと決断し、その結果たくさんの経験を積むことができました。そしてなによりおいしい食卓を囲むツアー参加者の方々とたくさん語った楽しい日々は私の大切な思い出です。
最後に、ネパールスタディツアーに参加して学んだこと、感じたことを大きく述べていきます。
まず、私はもともと国際活動に興味があり、高校生になったら自分でなにか行動しようと考えていました。しかし、いざ行動をしようとしても実際に何をどのような方法で支援すればいいのかまったくわからず、現地の人々はいったい何を欲しているのか、どんな支援が一番必要とされているものなのか、知りませんでした。今現在、メディアが活発になり、インターネットでたくさんの情報を得ることができます。しかし、現地からメディア媒体、メディア媒体から私たちの元に届く過程で、現地と私たちとの間でその情報はどこかでズレが生じてしまうものです。知ることの先に真の支援があると感じ、このツアーに参加しました。
そして実際に現地に行くと、表面上の理解の上での支援、例に出すと、むやみに学校施設を村に建てたりなどがあげられますが、実際にはまったく施設が使われないという現実もありました。なぜなら根本的部分、貧困が解決されていないからです。このように実際に現地に赴き、実際に自分の目で見て、実際に現地の人とふれあうことで得られる現実があります。私はまず知ること、この重要性を改めて感じました。
そして今高校生である私には何ができるのか考えました。それは「ネパールの現状を伝え広げること」です。知ることの重要性を実感した私だからこそ、この活動がいかに大切であるかを感じました。この現状を、そしてそれを目の当たりにした私の感情を、伝えていく使命があります。高校生である私は同世代の高校生にも伝え広げることができます。
大人になった私たちがネパールの子どもたちのために支援をするため、伝え続けていきたいです。そして、少しでも人身売買という最悪な現状がなくなるように、私は今もこれからもずっと今の自分ができる支援を行い続けていきます。
私の人生を変えた11日間、出会い、感情。高校生という時期にネパールスタディツアーに参加できたことは私にとって大きな糧です。参加できる環境を作ってくださった学校の先生方、ともに過ごしたツアー参加者の方々、ネパール班の6人、どうしても行きたかったツアーのために大金を払い、常に支えてくれた家族、たくさんの交流を楽しんでくれたネパールの方々、本当にありがとうございました。
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